2次避難…故郷離れる不安も 被災地で生活再開の動き…“今必要なこと”は
能登半島地震の発生から18日目、被災地では少しずつ再開の動きも出ています。そうしたなか、2次避難のために悩みながらも故郷を離れる決断をした人も。被災地の方々の思いを聞きました。
◇
冷たい雨が降りそそいだ、能登の被災地。被害の復旧はいまだ手つかずですが、徐々に“日常”は戻りつつあります。
「生きていかなくちゃいけないので、ここで」
「30何年間住んだところなので、涙出ますね」
それぞれの決断がありました。
◇
最大震度7の地震と津波から18日目、珠洲市で2次避難することを決めた木下太助さん(67)と出会いました。
木下太助さん(67)
「やっぱりインフラ。自宅はまだ電気が来ていませんし当然、水も来ていませんし、1月いっぱい富山にお邪魔させてもらえるので、一時退去しようと思います」
避難所を離れ、富山県内のホテルに行きます。気心の知れた仲間との別れ。住み慣れた我が家へ立ち寄ると、倒壊するおそれを示す赤い紙が貼られていました。
木下太助さん
「しゃあないかと思います、覚悟していました」
妻の弘美さんと協力して避難先で必要なものを取り出し、いよいよ出発の時。
木下太助さん
「残念ですけど、私たちばかりではないですから。家族親戚にもケガ人、死亡者いませんでしたから。それは周りの人からみればありがたいなと思います」
妻・弘美さん
「思い出の品はいっぱいあるけど、やっぱりきりがないから今は避難しよう。やっぱり帰ってきたいです」
複雑な思いを抱えながらも前を向きます。
2次避難先の富山市のホテルに到着すると、中に入りチェックイン。改めて今の思いを聞くと…。
木下太助さん
「必ず戻るとはちょっと…家のこともある」
妻・弘美さん
「さみしいですけど、またみんな元気で会おうねって別れてきたので、それがかなえばうれしいと思うけど、気持ちがそこまでいかない」
避難者の数は、一番多い4日の3万4173人から18日までに半分ほどの1万7220人にまで減少しました。
◇
珠洲市の入浴施設では18日、約2週間ぶりに温かいお湯が浴槽いっぱいになりました。
海浜あみだ湯 新谷健太さん
「津波はここまで来ましたね」
自身も被災しましたが、この場所に残り地域の支えになることを決めました。
水は地下水をくみ上げ確保。ボイラーを動かす燃料が18日に到着したことで、19日に再開できることになったといいます。
海浜あみだ湯 新谷健太さん
「これで安定してお湯を沸かせられるので安心です」
輪島市でも再開の動きがありました。
記者
「輪島市のスーパーでは、天井がはがれるなど大きな被害が出ていますが、グルメ館輪島店では安全な場所を確認した上で営業を再開しているということです」
元日の夕方、営業中に地震に襲われ商品や陳列棚などが散乱。2日後にはスタッフらが集まり店内を片付け、1月4日に営業を再開したといいます
18日、店には、弁当やおにぎり、パンなど調理せず食べられるものがずらり。次々に手を伸ばす客で賑わっていました。
お客さん
「助かるって思いました」
――今はどちらに
お客さん
「自宅にいます。うちはなんとか大丈夫で、雨漏りとかはしているけど」
パンなどを購入した女性に自宅の様子を見せてもらいました。電気は復旧したといいますが…
お客さん
「全然」
――全く出ない?
お客さん
「出ないです」
長引く断水が生活再建の妨げとなっていました。
――2次避難はどうお考えですか?
お客さん
「2次避難は、うちが大丈夫な間はしないと思います。電気は一応来ているから暖房もとれるし大丈夫だけど、水だけやね」
切実な“水”を求める声。スーパーで別の客に話を聞いても…
輪島市在住(73)
「私、たまたま電気がきたのでご飯は炊いて食べとる」
――一番困っていることは?
輪島市在住(73)
「上水、下水、マンホールも全部浮き上がっているから、それが一番やね。お風呂もずっと入っていない。入りたいけど、どこに行ったらいいかわからん」
「私はここにおる。今までおってんもん」
大規模火災があった輪島朝市の近くで焼き肉店を営む男性は…
焼き肉店経営 定山喬弘さん(66)
「補修、補強すればできるってことなのでやります。続けていきたいけど、人口がどれだけ減るか。最後はどう復興していくか。生きていかなくちゃいけないので、ここで出て行く人も多いだろうけど、とにかく予算をガンっとつけてほしい。それが一番心配じゃないかな」
◇
冷たい雨が降りそそいだ、能登の被災地。被害の復旧はいまだ手つかずですが、徐々に“日常”は戻りつつあります。
「生きていかなくちゃいけないので、ここで」
「30何年間住んだところなので、涙出ますね」
それぞれの決断がありました。
◇
最大震度7の地震と津波から18日目、珠洲市で2次避難することを決めた木下太助さん(67)と出会いました。
木下太助さん(67)
「やっぱりインフラ。自宅はまだ電気が来ていませんし当然、水も来ていませんし、1月いっぱい富山にお邪魔させてもらえるので、一時退去しようと思います」
避難所を離れ、富山県内のホテルに行きます。気心の知れた仲間との別れ。住み慣れた我が家へ立ち寄ると、倒壊するおそれを示す赤い紙が貼られていました。
木下太助さん
「しゃあないかと思います、覚悟していました」
妻の弘美さんと協力して避難先で必要なものを取り出し、いよいよ出発の時。
木下太助さん
「残念ですけど、私たちばかりではないですから。家族親戚にもケガ人、死亡者いませんでしたから。それは周りの人からみればありがたいなと思います」
妻・弘美さん
「思い出の品はいっぱいあるけど、やっぱりきりがないから今は避難しよう。やっぱり帰ってきたいです」
複雑な思いを抱えながらも前を向きます。
2次避難先の富山市のホテルに到着すると、中に入りチェックイン。改めて今の思いを聞くと…。
木下太助さん
「必ず戻るとはちょっと…家のこともある」
妻・弘美さん
「さみしいですけど、またみんな元気で会おうねって別れてきたので、それがかなえばうれしいと思うけど、気持ちがそこまでいかない」
避難者の数は、一番多い4日の3万4173人から18日までに半分ほどの1万7220人にまで減少しました。
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珠洲市の入浴施設では18日、約2週間ぶりに温かいお湯が浴槽いっぱいになりました。
海浜あみだ湯 新谷健太さん
「津波はここまで来ましたね」
自身も被災しましたが、この場所に残り地域の支えになることを決めました。
水は地下水をくみ上げ確保。ボイラーを動かす燃料が18日に到着したことで、19日に再開できることになったといいます。
海浜あみだ湯 新谷健太さん
「これで安定してお湯を沸かせられるので安心です」
輪島市でも再開の動きがありました。
記者
「輪島市のスーパーでは、天井がはがれるなど大きな被害が出ていますが、グルメ館輪島店では安全な場所を確認した上で営業を再開しているということです」
元日の夕方、営業中に地震に襲われ商品や陳列棚などが散乱。2日後にはスタッフらが集まり店内を片付け、1月4日に営業を再開したといいます
18日、店には、弁当やおにぎり、パンなど調理せず食べられるものがずらり。次々に手を伸ばす客で賑わっていました。
お客さん
「助かるって思いました」
――今はどちらに
お客さん
「自宅にいます。うちはなんとか大丈夫で、雨漏りとかはしているけど」
パンなどを購入した女性に自宅の様子を見せてもらいました。電気は復旧したといいますが…
お客さん
「全然」
――全く出ない?
お客さん
「出ないです」
長引く断水が生活再建の妨げとなっていました。
――2次避難はどうお考えですか?
お客さん
「2次避難は、うちが大丈夫な間はしないと思います。電気は一応来ているから暖房もとれるし大丈夫だけど、水だけやね」
切実な“水”を求める声。スーパーで別の客に話を聞いても…
輪島市在住(73)
「私、たまたま電気がきたのでご飯は炊いて食べとる」
――一番困っていることは?
輪島市在住(73)
「上水、下水、マンホールも全部浮き上がっているから、それが一番やね。お風呂もずっと入っていない。入りたいけど、どこに行ったらいいかわからん」
「私はここにおる。今までおってんもん」
大規模火災があった輪島朝市の近くで焼き肉店を営む男性は…
焼き肉店経営 定山喬弘さん(66)
「補修、補強すればできるってことなのでやります。続けていきたいけど、人口がどれだけ減るか。最後はどう復興していくか。生きていかなくちゃいけないので、ここで出て行く人も多いだろうけど、とにかく予算をガンっとつけてほしい。それが一番心配じゃないかな」