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「息子に託すしかない」 福島の海と原発と “負のイメージ”のまま進む時計 【東日本大震災13年の“あれから”】

2024年3月8日 20:08
「息子に託すしかない」 福島の海と原発と “負のイメージ”のまま進む時計 【東日本大震災13年の“あれから”】

2024年3月、福島第一原発で処理水の海洋放出が始まってから半年が過ぎた。先月28日からは、4回目の放出が始まり、17日間で約7800トンを海へ放出するとしている。

原発事故によって植え付けられた「福島の負のイメージ」は簡単にはぬぐえない。そればかりか、そのイメージのまま13年近くが経過している点も否めない。しかし、今の第一原発も福島も一歩ずつ前進し、「負のイメージ」とはかけ離れた場所になっている。

このイメージを多くの人にアップデートしてもらうことで、処理水の正しい理解に繋がり、漁業者が抱える不安を少しでも払しょくできると考えている。

■震災後は家で1~2回「飲んでしまう」

あの日、突然奪われた漁師という生業。2012年、集会では「爆発している福島県が一番遅いんだ!やっていることが!」と漁師らの怒号が飛んでいた。魚の代わりにガレキをとり、本格的な漁を自粛していた。

いわき市の漁師 佐藤芳紀さん(当時53歳)
「本当はね震災前なんて家で酒飲むなんてまずなかったんだけど。最近、週に1~2回こうやって飲んじまう」

シラスなど小さな魚の群れを追って親子2代で漁を続けてきました。

佐藤芳紀さん
「我々のこの小型船の漁場は、どうしてもこの(福島第一)原発の周辺なんですよ」

■東電に任せても「数値すら鵜呑みにはできない」

この頃は週に一回、福島県から依頼されたモニタリング調査で、原発から20キロ圏内の魚をとっていた。

佐藤芳紀さん
「この周辺の魚がどういうものなのかというのは本当に知りたい」
「それを東電にだけ任せておいても、我々はその数値すら鵜呑みにはできない状態ですから」
「自分の手で釣って自分で検査に出して県に調べてもらいたい」

2012年3月、佐藤芳紀さんは仲間の漁師とともに築地市場へ向かった。

しらすなどは1年の水揚げの大半を占める大切な稼ぎだったが、いわき市の漁師・今泉安雄さんが「やっぱり福島産の魚というだけで受け入れるのは難しい?」と尋ねると、「難しいですよね」と答えた卸売業者。

突きつけられたのは、厳しい現実だった。

佐藤芳紀さん
「ジレンマだね。ここはほんとに…。1年前まではこういう魚をちゃんととっていたんだから」

■“漁師を継ぐ”長男の夢 奪った原発

都会にいる3人の子供たちが帰ってくるとサシミを見た娘は「おとうがとったやつ?」と聞いた。

佐藤芳紀さん
「いや、違うさ。今は食べられないって言ってるでしょ」
「買ったのよ」

長男の佐藤文紀さん(当時21歳)は、大学を卒業したら漁師を継ごうと思っていた。

佐藤文紀さん
「やっぱり心のどこかでは、もしかしたらまだすぐ原発が良くなって漁師になれるんじゃないかというのがちょっとあったんで」

震災が起こり、望んでいなかった就職活動。内定をもらっている会社に就職を決めました。

   ◇

父・佐藤芳紀さんは船のエンジンを新品に取り替えました。かかった費用は1600万円。前に進むしかないという父の決意の表れだった。

真新しいエンジンを積んだ船で向かう親子2人でのモニタリング調査。目の前には、福島第二原発が見えた。そしてその向こうには、漁師になる夢を奪った福島第一原発。

父・佐藤芳紀さんは、いつかこの福島の海に日常が戻ってくることを信じる。

佐藤芳紀さん
「海は死んだとは言いたくはないです。今まさに死にかけてるんじゃないかと思います。どんな形であれ生き延びてもらいたい」

■希望を持って「船を継いでもらうのが」

2020年、佐藤芳紀さんの息子・文紀さんは3代目として福島に戻ってきていました。

佐藤芳紀さんは、「うん、おいちいね〜」と孫をあやしていました。文紀さんの長男・舷紀ちゃん(当時6か月)には、文紀さんが、将来漁師になってほしいと願っています。

文紀さん
「希望を持って船を継いでもらうのが一番いいのかなと思ってますね」

■回復し始めた海の資源 「もう息子に託すしかない」

ホッキガイの漁が行われた日、約500キロが水揚げされました。原発事故後、福島では漁を自粛したことで、ホッキの他、高級魚のヒラメなどが増え、海の資源が回復しているのです。

普段はそれぞれの船で漁に出る漁師たちが、一つの船に乗り合わせ共同で操業し、売り上げも分配していました。佐藤芳紀さんは「先のことを考えれば、こういう形態がまず大事なんじゃないかと」といいます。

2020年6月までに、モニタリング検査は6万件を超え、(放射線の)基準を超える魚種はなくなり、今はもう全ての魚をとることができます。

佐藤芳紀さん
「9年間調べて、今、もうすごいデータになっているはずだ。モニタリングっていうのは」

豊かな海を守り、次の世代に資源を引き継ぐことが、漁師が生き残るすべだと考えています。

佐藤芳紀さん
「ただ、今は残された資源、貝の生存年数もありますし、そこら辺を見極めて長くとっていかなきゃならない」
「もう息子に託すしかないんですよ、いま我々は」
「少しでもやっぱり安定した生活ができるような漁業形態を築いていければ」

(※2012年6月と2020年6月に放送したものを再編集しました)

【取材した福島中央テレビいわき支社・渡邉郁也記者 2024年3月に思うこと】

原発事故、さらには処理水の問題があるが佐藤さん親子が福島で漁業を続ける大きな理由は、福島でとれる海の幸“常磐もの”の質の良さです。その美味しさを伝えたい一心で逆境を乗り越えようとする粘り強さ、信念に心を打たれました。

佐藤さん親子は、現在も同じ船に乗り、ホッキ漁および、釣り船の運営を行っています。息子の文紀さんは2023年9月に、3人目の子どもが生まれ一家の大黒柱として漁業を続けています。

ただ、廃炉には30年、40年がかかり、風評被害などの不安とは常に隣り合わせ。魚介類の安全は示されているが安心できる日々が訪れるにはまだ時間がかかりそうです。

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