“ヒロシマ”バーテンダーの遺言
余命2か月を宣告されたバーテンダーは、がんに侵されながらも、被爆者の声を届け続けました。
「死体しか無いんです」
「ヒエ~熱い~。これがあの子の最期の声でございます」
冨恵洋次郎さん。自分のBARで毎月被爆証言を聞く会を開いています。
「バーテンダーとして自分のお客さんが来るときに、広島出身でやってますから、それに答えられるようになりたいなっていう。まあ、1人で聴くのももったいないからじゃあ、みんなで聴こう」
いつか被爆者の声が聞けなくなる。被爆証言の会を続ける理由です。
「被爆証言を聞く会」をはじめて11年が経とうとした頃、洋次郎さんの体を突然“病魔”が―。末期の肺がんと診断されました。
「1週間はちょっと誰にも言えんかったかな」
「びっくりですよね。2か月って。2か月ってあるんだなと思いました。3か月からだと思ってました。余命って」
それでも被爆証言の会は続きます。この日洋次郎さんは初めて欠席。仲間が想いを引き継ぎました。
「それでもやりたいっていう思いはすごく尊重したいですよね」
がんの進行は一進一退…
「いてててて」
交際しているみやさん。一緒にがんと戦っています。
「こんなに痛がるからと思って色んな人にやったんですけど誰も痛がらないんですよ。相手の存在の大切さはがんになる前と今はだいぶ違うかなとは思いますね」
医師から告げられた余命2か月は過ぎていました。
「今、本書いてます。原爆の語り部の。聞いてきたっていう。まとめというか。(被爆者の方は)広島を作ってきた。そして今の自分があるから、君たちも大丈夫だよって。頑張って生きればいいよ。絶対に先がある話をしてくれるから。戦争とか悲惨とか、死とかいうテーマじゃなくて、それとは逆な“生きる”っていうテーマにしたい」
そして、138回目の被爆証言を聞く会。
「本を作るっていう言葉を聞いてね、すごい今感銘を受けている」
洋次郎さんもいつもの場所に…。自分が被爆証言を聞きたいから…。
「被爆者の方がああやって僕らに教えてくれてもっといっぱい頑張ってくれって言ってくれるっていうのは本当にありがたいし、毎回やらないといけないなと背中を押されるというか」
「体調?なんかいつも聞かれるけど自分でもわからんですね」
「まあ、色んな可能性を知りたい」
7月3日、容体が急変。冨恵洋次郎さんは息を引き取りました。3日後。被爆証言を聞く会は、変わらず開かれました。
「洋次郎さん140回目の被爆体験者の証言を聞く会を始めます」
「この記憶、風化させてはならない」
「140回の中で2人か3人の時もありましたしね。それでも僕は聞きたいんだって洋次郎さんがおっしゃって」
亡くなって9日。洋次郎さんの本が供えられました。
タイトルは「カウンターの向こうの8月6日」
そして洋次郎さんのバーには一枚の壁画が。
原爆ドームで羽を休める蝶―
「この話を伝えていくことだけが僕たちの使命だと思っています」
※広島テレビで制作したものをリメイク。2017年10月放送、「洋次郎の4000日 ~“ヒロシマ”バーテンダーの遺言~」より
【the SOCIAL×NNNドキュメントより】