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「去年1回死んだんです」たった一人で“月面探査車”を開発し今年ついに月面へ “諦めない社長”の壮絶な半生【ソラテレ夢宙人】

2024年5月22日 12:04
「去年1回死んだんです」たった一人で“月面探査車”を開発し今年ついに月面へ “諦めない社長”の壮絶な半生【ソラテレ夢宙人】

「私は“絶体絶命”を楽しんでいます」―――。脱サラ、収入激減、大動脈解離…様々な苦難を乗り越えて、超小型の月面探査車をたった一人で開発した人がいる。NASAの展開するアルテミス計画で採用された着陸船のメーカーに認められ、今年ついに月へと進出する予定なのが、株式会社ダイモンの中島紳一郎社長だ。世界最小・最軽量を目指し月面探査車「YAOKI」の開発に費やした期間は8年。月面探査に成功すれば、民間としては世界初の偉業となる。中島社長が“七転び八起き”で歩んできた道のりとは。日本テレビの“宇宙アナウンサーズ”・辻岡義堂が聞いた。

◇ ◇ ◇

▼中島 紳一郎 (なかじま しんいちろう)
長野県生まれ。発明家/ロボットクリエイター。明治大学工学部卒業後、Boschなどで自動車の駆動開発に20年従事。Audi、TOYOTA等で標準採用されている4WD駆動機構を発明。2012年に株式会社ダイモンを設立。

■宇宙事業に取り組むきっかけは東日本大震災

―――中島さんは脱サラをしてこの宇宙事業に身を投じた?

元々は自動車のエンジニアでしたが、2011年3月11日の「東日本大震災」をきっかけに、会社を辞めて宇宙事業へと身を投じました。

都内で帰宅難民となり、ふと震災の映像を見た時に「明日からは自動車を作っている場合じゃない」そんな思いに駆られ、勢いで会社を辞めて、勢いで起業しました。

―――パートナーである奥さまは退職については?

退職を伝える前は、夫婦喧嘩も覚悟していたのですが、意外にも「ああ、そう」の一言。私の決断を後押ししてくれました。

―――その時点では、次の働き口も決まっていなかった?

決まっていませんでした。でも、ここは安心安全の日本。職を失っても死ぬことはないですからね。ハローワークの申請書を書けば、なんとか生きられる。居酒屋でバイトしたっていいですから。

―――起業後に取り組んだのが、月面探査車?

これまでずっと地上の自動車に携わっていて一旦やり切ったと考えていたので、「次は宇宙のモビリティーに取り組みたい」というイメージがありました。

その頃、Google主催で月面探査機開発の賞金レースがありました。日本でもレースに挑戦する有志のチームが作られたので、そのチームに入りました。ちょうど募集条件が、設計が出来て暇な人だったので(笑)

―――ずっとそのチームでやろうとは?

チームで3〜4年ほど月面探査車の開発に取り組みましたが、作業を分担しているので思い切った小型・軽量化ができませんでした。そこでチームを抜けて、ビジネスとして成功させる為に、自分の会社で開発を続けました。

チームで作っていた時は3〜5キログラムほどが限界でしたが、一人で取り組んだ結果500グラムを切ることができました。その代わり、8年かかってしまいましたけど。

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■先にも後ろにも光が見えない日々
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