「漂流ポスト・・・あなたへ」
あの日から、会えなくなったあなたへ…。不思議な、赤いポストに、胸のうちをそっと明かします。
手紙を読む声「おーい、トモ、おかあさんだよ~元気かぁ?ドリフトはしてるかな?」
車好きだった息子に宛てた手紙。あの日から毎日淋しい3年が過ぎてしまったよ。あの日は苦しかったでしょう…海水は冷たかったでしょう…
残された人たちは手紙を書いたことで、一歩踏み出せた気が…“漂流ポスト”を始めた、カフェ、森の小舎(こや)のオーナー赤川勇治さん。
赤川さん「お亡くなりになったご家族、お友達。連絡先が不明な友人。いつかどこかにいるあなたへの手紙。漂流して流れ着く場所が漂流ポスト3.11なのです」「1週間に1回でも、10日に1回でも、1か月に1回でも書くことによって、気持ちが少しずつでも和らいでくれる」
届いた手紙は公開されます。返信はしません。匿名でも構いません。
手紙を読む声「広田半島に手紙を届けておくから、時々読みに行って…ステキなカフェだよ!」
赤川さんは、ある1通の手紙が気になっていました。手紙の書き出しは…4人の名前。清水和子さん。津波で、娘家族4人を一度に亡くしました。
清水さん「こっちが6歳の子で。生まれてくるはずだった子が、『多分、お兄ちゃんの小さい時にそっくりかな』っていう感じで、小さい時の写真を送って、描いて頂いたものなんですけど」「前、ホント、『悲しい、悲しい。4人に申し訳ない』毎日、本当に死ぬことばっかり考えていたんですけど」
娘は、母の背中を追って看護師の道を目指すはずでした。
清水さん「入学式に私が買ってあげた靴なんですけど、あのスーツと一緒に買った靴なんです」
初孫の楓太くんは、小学校に上がる直前でした。ガレキの中を捜し回って、見つけた靴は泥だらけでした。
買ったばかりのスーツを着て保育園の修了式に出かけた孫。入学式でも着るはずでした…。
清水さん「捜してあげられなかったことが、一番申し訳ないって気持ちですよね」
准看護師として働いていた清水さん。震災直後、夜勤ですぐ捜してあげられませんでした。月命日には、4人に会いに行きます。
清水さん「楓太、8月16日の誕生日にプレゼントあげられなくてごめんね」
娘たちはいったん、避難所に逃げましたが、毛布を取りに自宅へ戻ったとみられます。3月11日は、芯から冷える日でした…。
清水さん「美香あなたとは二十八年間、悠亮・楓太とは七年間、颯には会えなくてごめんなさい。一緒に暮らした日々は本当に毎日楽しく、幸せな日々でした」
4人に手紙を書いた事で、前向きになれたといいます。正看護師の資格を取って、また病院で働きたいと考えています。
清水さん「娘がかなえられなかった夢を『私が正看護師になって何年間か、できればいいかな』って感じで挑戦してます」
会いたい…。声が聞きたい…。だからまた書きます。あなたへ…。「漂流ポスト」は待ち続けます。雨の日も…。雪の日も…。
2016年1月放送 NNNドキュメント
「漂流ポスト・・・あなたへ」テレビ岩手の制作