戦後最悪の噴火災害から8年…御嶽山に“再び不安”山小屋シーズンインに迫る
今年2月に火山活動が高まり一時的に噴火警戒レベルが2に引き上げられた御嶽山。戦後最悪の噴火災害から間もなく8年…再びの噴火への不安に揺れ動いた山小屋のシーズンインに迫りました。
今月1日に山開きで本格的な夏山シーズンを迎え、県内外から登山客が訪れています。
南西斜面の火口に、ほど近い山頂・剣ヶ峰では、8年前の噴石被害からの修復作業が進むなど、当時の面影が少しずつなくなっている中…あの日のまま時が止まった一室があります。当時のままの部屋を残している山小屋です。長野と岐阜の県境に位置し火口から2番目に近い山小屋「二の池ヒュッテ」です。
登山者を迎え入れているのは高岡ゆりさん。「二の池ヒュッテ」のオーナーです。噴火災害の後、前のオーナーから小屋を引き継いでから今年で5年の節目。特別なシーズンを迎えるはずでした。しかし…。
高岡ゆりオーナー「どうなるんだという不安はありました。ただそういう山であることをわかっていて、ここで経営をすることを受け入れている部分もあったので、仕方のないことだと思っていました」
今年2月。御嶽山では火山性地震が急増するとともに山体の隆起を確認。火山活動が高まっているとして噴火警戒レベルが1から2の「火口周辺規制」に引き上げられました。
こうした変化が見られたのは、死者・行方不明者63人を出した2014年の噴火以来。
大きな影響を受けたのは、「二の池ヒュッテ」を含む山頂付近の3つの山小屋。レベルの引き上げに伴い噴火が想定される火口からおよそ1キロの範囲で立ち入りが規制され、今シーズンの営業に向けた準備が一切できない状態に陥ったのです。
山開きが目前に迫っていた今年6月。本来なら小屋の修繕やヘリコプターでの荷上げなど大忙しな時期ですが、高岡さんの姿は麓の木曽町にありました。
オフシーズンは町内の旅館を手伝う傍ら、出張で整体を行い生計を立てている高岡さん。
高岡ゆりオーナー「正直今年の場合は営業できるかわからない。食べ物もそうですけども燃料、その他、発注をかけていいのかという状況で、今は足踏み状態」
今シーズンはどうしても小屋を開けたい理由がありました。
高岡ゆりオーナー「営業を始めてから自分の中で5年ということで、節目という思いもありましたので」
節目に合わせ地元・木曽町の伝統工芸品「木曽漆器」を使ったオリジナルグッズを用意していた高岡さん。当時のSNSには複雑な心境が記されていました。
『小屋が開けられて販売できることを願って…追記 開けられなかったら通販にする?』
すると…。
『欲しいです。警戒レベルが早く下がりますように』
『5月に登る予定にしていましたが残念です。カップ欲しいです』
届いたのはたくさんの応援メッセージでした。
先月23日、火山活動が落ち着いたとしてレベルが1に引き下げられると高岡さんは急ピッチで準備を開始。荷上げからわずか4日後の今月10日に何とかオープンにこぎつけました。
あれからおよそ1週間。3連休の初日のこの日、宿泊客は12人。コロナ禍ながらも週末には満室になる日もあった去年と比べると、7月の予約数は半分以下です。
高岡ゆりオーナー「この光景になると自分の気持ちも落ち着きますよね」
用意していた節目のオリジナルグッズも好評です。
今も活動を続ける活火山で山小屋を開け続けるのにはもう一つ大きな理由があります。
高岡ゆりオーナー「他の山域の山小屋が持つ意味とはちょっと違った意味を持っていると思う。避難所としてお客さまに何かあった時の受け入れができる体制をとっていくというのが、私たちの役目になるのかなと思います」
翌朝…小屋の前には宿泊客が集まっていました。姿を現したのは眼下に広がる「雲海」です。
宿泊客「やっぱりこれがあるから山はやめられないですよね」
高岡ゆりオーナー「第一は登山を楽しんでいただくこと、その中で火山であること、活動を続けている山だということを感じていただければなと思います」
自然の“怖さ”と“美しさ”が共存する活火山・御嶽山。安全に登山できるように毎シーズン開け続ける山小屋があります。