ヤングケアラー見えない子どもたちのSOS
家族の介護や世話を担う子どもたち。ヤングケアラー。長期のケアが学業や人間関係、就職など、その子の将来に深刻な影響を及ぼすケースもあります。そんなヤングケアラーを取材しました。
認知症の父親の介護をする、小学6年生の男の子。
認知症の父親(73)「ごめんね」
家族の介護や世話をする18歳未満の子どもたち、幼き介護者“ヤングケアラー”。いま中学のクラスに1人か2人いるといわれています。
4年前、認知症になった父親。家計を支える母親が仕事でいない間、男の子が代わりに見守ります。道に迷うことが増え、自宅で1人で過ごすことも難しくなりました。
介護する息子(11)「昔は治ると思って介護していたけど、治らないと知って、だけど介護したら(お父さんが)優しくなるから、やっぱりやろうと」
母親(52)「仕事で帰りが遅くなるときに『ちょっとお父さんお願い』となるので、ちょっと悪いなと思う」
父親「どうすればいいの私は?」
介護する息子「お風呂入ろう」
介護による進路の変更を余儀なくされ、その後の社会生活に影響を及ぼすことも…。
大阪で1人暮らしをする川崎さんは、食べ物は、固形のままでは口にすることができません。
川崎さん「本当は普通の食事がしたいんですけど」
30年間にわたる母親の介護。食事で母親がのどをつまらせないか恐れるあまり、自分自身も食べることが怖くなりました。
3歳のとき、父親を交通事故で亡くしました。祖母と母親、両方の介護が始まったのは、小学3年生のときでした。
川崎さん「おばあちゃんをトイレに連れて行ったり、お母さんを病院に連れて行くときは、僕が自転車の後ろに乗せて連れて行ったりしていました。(お母さんと)一緒に外に行けるのがそれぐらいしかなかったので、ちょっとうれしかったです」
定時制高校3年のとき母親の病状が悪化。卒業後、書店でアルバイトを始めましたが母親も祖母も寝たきりになったため、辞めざるを得ませんでした。
祖母は施設で亡くなり、母親は4年前、自宅で看取りました。待っていたのは、孤立。幼き介護の代償はあまりに大きいものでした。
川崎さん「(履歴書の)書くところが少ない、薄いなと…。職歴と資格がないので…」
2度目の面接で採用が決まったスーパーのアルバイト。再び社会とつながり始めた川崎さんに講師の依頼が舞い込みました。養護教諭たちに“ヤングケアラー”としての経験を語ります。
川崎さん「今までを振り返ってですが、お母さんが全てで、2人で1つのような感じで、介護をするという選択肢しかありませんでした。20代、30代のころは、この世で2人だけで生きているような感覚でした。周囲の人、ヘルパーさんや訪問看護師さんはもっと来てほしかったと思います。
若いときは、人になかなか助けてくれとは言えません。誰でもいいので、自分のつらい気持ちなどを話して、そこから支援につながっていってほしいです。まわりの方はおせっかいでもいいので、その子と積極的に関わっていってほしいです」
社会に埋もれる“ヤングケアラー”にどう気付き、手を差し伸べるのか。見えない子どもたちのSOS。あなたは…聞こえますか。
2021年7月4日(日)放送 NNNドキュメント’21
『ヤングケアラー“見えない子どもたち”のSOS』
(読売テレビ制作)を再編集しました