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【裏側】知られざる東京消防庁「即応対処部隊」 能登半島地震の捜索活動支えた宿営地のリアル

2024年3月2日 8:08
【裏側】知られざる東京消防庁「即応対処部隊」 能登半島地震の捜索活動支えた宿営地のリアル
【珠洲市・仁江町の土砂崩れ現場。ふもとに住宅があった 1/22撮影】

元日に発生した能登半島地震では、地震翌日から全国の警察や消防、自衛隊が石川県に駆けつけ、懸命の捜索にあたった。今回現場で出会ったのは2020年に新設された東京消防庁の即応対処部隊。過酷な現場で、隊員の活動と士気を支えたものとは。

■危険と隣り合わせの現場…手作業で土砂をかき分け、特殊車両投入も

地震発生から3週間が経った1月22日。元日に最大震度6強を観測した石川県・珠洲市の土砂崩れ現場では東京消防庁の隊員らによる捜索が行われていた。そこにあったはずの住宅は土砂に押しつぶされ、ところどころに木材が見えるだけで、原形を全く留めていない。離れた場所から捜索の様子を撮影していたが、周辺では土の匂いが立ちこめる。雨が降ったり止んだりする不安定な天候のせいで足元はぬかるみ、隊員たちが一歩足を踏み入れると膝まで埋まってしまう様子が見えた。

ここ珠洲市では約半数の住宅が全壊。日本海側に面した珠洲市・仁江町では土砂崩れが発生し、正月を家族や親族12人で一緒に過ごしていた住宅を直撃した。12人のうち、最初の揺れで周囲の様子を見に外に出た40代の男性を除く11人が土砂にのみこまれた。男性の義理の兄とその子供の2人は近隣住民の手でその日に救助されたが、7人はその後遺体で発見され、男性の義理の両親にあたる60代の夫婦の安否が不明となっていた。

東京消防庁・即応対処部隊の隊員らは連日、その夫婦の捜索にあたっていた。スコップを使い、手作業で懸命に土砂を掘り起こす。水を含んだ土砂は重く、試行錯誤しながらの活動が続く。そうした中、「山崩れが発生する直前、車のそばで2人を見た」という目撃情報が寄せられたという。それを受け、隊員らはドローンや重機のほか、日本で初めて導入されたという土砂や泥水を吸い上げる「強力吸引車」も投入し、発見を急いだ。しかし、この日の捜索では、土砂に埋もれていた車を発見したものの、2人は見つからなかった。

その後も捜索は続き、およそ2週間後の2月6日に安否不明となっていた夫婦のうち60代の男性とみられる遺体が現場から発見され、その後女性の遺体も発見された。遺族の男性はNNNの取材に対し「良かったという言い方が良いのかわからないが、発見してもらって良かった」と話した。これで珠洲市の安否不明者は0人となった。

■宿営地へ…隊員の生活を支える特殊車両

東京消防庁は地震発生翌日の1月2日から、災害現場での救助救出活動を担う即応対処部隊の隊員らを中心に支援部隊を特別編成し、現地に派遣していた。主な活動場所は珠洲市や輪島市の土砂災害現場や火災現場で、派遣された隊員数はのべ1200人を超える。その隊員たちの宿営地は能登町の「やなぎだ植物公園」に設置されていた。珠洲市の現場まではおよそ17キロ、輪島市の現場まではおよそ20キロ離れた場所だ。

隊員たちはここを拠点に寝泊まりしていた。夜明けとともに車列を組んで出発し、現場では朝8時から午後4時半ごろまで活動を行っていた。1月22日、この公園を訪れると、東京消防庁だけではなく神奈川県や岐阜県など様々な地域から派遣された多くの消防隊が宿営地を設営していた。

許可を得て、東京消防庁が拠点にしている場所を訪ねると、活動を終え、つかの間の休息を取る隊員たちや、その活動を支える様々な特殊車両を見ることができた。

捜索・救助活動において要になるのが、車両の燃料だ。災害現場で燃料の調達はできない。そこで東京消防庁はおよそ1000リットルの軽油を積載可能で、ガソリンスタンドの役割を果たす燃料補給車を派遣した。宿営地に戻った車両はこの燃料補給車から給油を受け、翌日の活動に向かう。

このほか、近くに小さな川などがない山間部での火災や、災害時の消火用水の運搬に使われる「10トン水槽車」の姿もあった。いわば水槽付き消防車だ。能登半島地震では、輪島市でおよそ5万平方メートルが燃失する大規模火災が発生したが、当時、地元の消防は断水の影響で消火栓や防火水槽が使用できなかったという。消火用水が確保できないことは火災の拡大に直結するため、水槽車でポンプ車に水を供給し初期消火を行うことができていれば、とある隊員は話す。

また、マイクロバスをベースにした「補給車」の姿もあった。発電機能や給油機能を備え、簡易的だが温かい食事を作ることができるという。隊員たちは宿営地を離れて活動している間、食事はなかなか取ることができず、取れても栄養補助食品などの軽食だという。奥能登の捜索活動では最低気温が0度を下回ることもあった。凍えるような寒さの中で活動したのち、宿営地に戻って温かいものが食べられる。ある隊員は「それが本当に嬉しかった」と話し、士気の維持につながったと振り返る。

■風呂なし、簡易ベッド…宿営地のリアル

宿営地にはこうした車両のほか、食事用や会議用のスペースとして張られたテントもあった。その隣には宿泊用のテントがずらりと並ぶ。25張りのテントが設置され、隊員たちはそこで寝泊まりをしているという。1つのテントに収容できる人数は最大6人。中を見せてもらうと、簡易的なベッドが並べて置かれていた。奥には暖房器具もあったが、それでも冷え込みは厳しく、活動の疲れが十分にとれないことは想像に難くなかった。

また、宿営地では入浴することができない。そのため、隊員の衛生環境を保つことが重要だった。対策の一つとして、宿営地の入り口に「デコンタミネーション」のエリアが設けられていた。「デコンタミネーション」とは「汚染を取り除く」という意味。ここではポリタンクの水を使って手洗い・うがいをすることに加え、泥まみれになった活動服を洗うこともできる。食事を取る前に汚れをしっかりと落とすことで、清潔さを保つだけではなく隊員の精神的なリフレッシュにも繋がっていたという。

■隊員に聞く、活動への思い

「被災地の消防隊員や団員が、自身も被災する中で懸命に活動を行っていた。我々はその支援に適切に応えられるように懸命に全力で活動していました」

そうふりかえるのは現場で東京都大隊長として指揮をとった東京消防庁・即応対処部隊の鈴木善幸総括部隊長。話を聞くと、活動は困難の連続だったという。

能登半島地震は土砂災害が多く、表面の土砂だけではなく山の一部が崩れてしまった場所も多かった。土砂の量が多く、掘削するのが困難な上、雨が降れば道がぬかるんだり掘削した地面に水溜まりができたりし、作業を阻んだ。

さらに、冬の北陸地方ならではの気候も活動を阻んだ。石川県では冬は湿った重い雪が多く降る特徴がある。雪が降り積もった道路では、亀裂などで段差が分かりにくい。そのため現場と宿営地の往復では、通常ならば1時間程度で行ける距離に2時間半以上の時間を要したこともあった。土砂崩れなどの現場でも崩れた山肌が雪に覆われてしまい、救助活動中に再び山が崩れてこないか監視することも難しく、危険と隣り合わせの環境だったという。

『とにかく自分たちにできる最大限を』、そんな思いが、隊員たちを毎日現場へと向かわせていたという。

東京消防庁は2月12日をもって隊員の派遣を終了した。しかし、石川県内ではいまだ7人の安否が分からず(2月29日現在)、捜索活動は続けられている。

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