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東京パラリンピックと上皇ご夫妻の夢(上)

2021年8月25日 10:27
東京パラリンピックと上皇ご夫妻の夢(上)

8月24日、天皇陛下の開会宣言と共に、東京パラリンピックが開幕しました。遡ること57年前、1964年の東京でもパラリンピックが行われています。世界で初めて「パラリンピック」という言葉が用いられた大会です。しかし、当時はまだオリンピックの後パラリンピックが開催されることは当たり前ではありませんでした。「障害者スポーツ」が一般的でなかった時代、この大会の実現に向けては当時の皇太子夫妻──今の上皇ご夫妻のひとかたならぬ尽力がありました。(日本テレビ報道局・社会デスク兼皇室担当 森 浩一)

※冒頭の動画は、1978年 広島県の身体障害者職業訓練校で卓球をされる上皇さま

■「ちょっとやりましょうか」突然パラ卓球選手と・・・

2015年10月、上皇ご夫妻は大分県別府市にある障害者支援施設「太陽の家」の創立50周年の式典に出席されました。天皇皇后として民間団体の式典のために地方に泊まりがけで訪問されるのは極めて異例なことでした。

この式典で挨拶をしたのは、当時「太陽の家」に勤務しながら2020年東京パラリンピック出場を目指していたパラ卓球選手・宿野部拓海(しゅくのべたくみ)さん(29)。「私は先天性脳性麻痺で四肢に障害があります。卓球は、身体が不自由なことを言い訳に辛いことから逃げていた自分を挑戦する自分へと変えてくれました。この障害のおかげで、他の人よりもたくさん悩むことが出来、毎日努力することが出来ました。今ではこの身体で生まれてきて良かったと思っています」。宿野部さんの話を、上皇ご夫妻は我が子を見守るような優しい目で見守った後、「スピーチ素晴らしかったですよ」と語りかけられました。

その直後、パラスポーツ選手達の練習風景を見学された時、私たち報道陣もびっくりするようなハプニングがありました。卓球の練習をしていた宿野部さんに、上皇さまが突然「ちょっとやりましょうか」と声をかけ、ラケットを借りて卓球を始められたのです。上皇さまは学生の頃から卓球がお好きで、即位してからも御所で側近達を相手にしばしば卓球をされていることは聞いていましたが、実際にプレーを目にするのは初めてでした。

いわゆるペンホルダーでラケットを握られる真剣な表情の当時81歳の上皇さま。卓球は4、5分行われ、速いボールのラリーも7、8回は続いたでしょうか。上皇后さまが脇で、落ちたボールをそっと拾われている姿もごく自然なものでした。宿野部さんが「最初の一球目からお上手なんだなって分かりました。卓球をやっている方の“振り”でした」と振り返った通り、素人目から見ても相当やり込まれていることが分かるラケットさばきでした。

上皇さまが1978年に広島の障害者施設を訪問した際に、やはり「飛び入り」で卓球をされた映像が残っています。私が見た時と同様に“鋭い振り”。そして障害のある選手たちと真剣勝負を挑まれている姿が印象的です。

「太陽の家」では、上皇ご夫妻はボッチャという競技や車いすマラソンの選手のトレーニングなどもご覧になりました。何より驚いたのは、障害者スポーツのことをよくご存知で、「この競技はどこそこの県が強かったですね」と詳しい知識を持っていることでした。
実はお二人と障害者スポーツは半世紀以上にわたる強い結びつきがあります。

■「障害者スポーツの父」中村裕医師との絆

その架け橋となったのが「太陽の家」創設者の中村裕(ゆたか)医師(1927―1984)。「日本の障害者スポーツの父」と呼ばれた人物です。整形外科医だった中村医師は1960年イギリスのストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷者センターに留学した際、車いすの障害者たちがスポーツで鍛えながら心身のバランスを取り戻し、次々と社会復帰をしていく姿に衝撃を受けたと言います。「日本の障害者にもスポーツを」と、中村医師は1961年大分で日本初となる障害者のスポーツ競技会を開催しました。しかし当時、日本の障害者は病院や家の中で安静に過ごすのが当たり前とされ、批判の声もありました。中村医師は日本中に理解を広げるためにも、1960年にローマ五輪の後、初めて行われたパラリンピック(当時の名称は「第9回国際ストーク・マンデビル競技大会」)を東京五輪の後にも開催すべきだと考えます。

同じ頃、人づてにローマ大会の成功について耳にし、パラリンピックに関心を寄せられていたのが上皇后さまでした。上皇さまと相談の上、スポーツ関係者や福祉関係者などをたびたび東宮御所に招いて広く意見を求められ、これが国や赤十字などによる東京大会招致の検討へとつながりました。この頃、上皇ご夫妻は中村医師と知り合われたといいます。

1962年、中村医師はイギリスでの障害者スポーツの国際大会に、自身の患者2人を日本代表卓球選手として自費を投じて連れて行き、世界に東京でのパラリンピック開催を訴えます。上皇ご夫妻は当時の東宮御所に中村医師と選手らを招き、帰国後の報告を受け、彼らを激励されました。ちなみに、この時も上皇さまは選手と卓球をされたそうです。

そして中村医師やさまざまな人々の熱意が、上皇ご夫妻の後押しによって実を結び、1963年正式に東京パラリンピックの開催が決まりました。

(下に続く)