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東京パラリンピックと上皇ご夫妻の夢(下)

2021年8月25日 10:27
東京パラリンピックと上皇ご夫妻の夢(下)

8月24日、天皇陛下の開会宣言と共に、東京パラリンピックが開幕しました。遡ること57年前、1964年の東京でもパラリンピックが行われています。「障害者スポーツ」がまだ一般的でなかった時代、大会の実現に向けては当時の皇太子夫妻―─今の上皇ご夫妻のひとかたならぬ尽力がありました。そしてこの大会を機に、日本の障害者をとりまく環境は大きく変わっていきます。(日本テレビ報道局・社会デスク兼皇室担当 森浩一)

※冒頭の動画は、「パラ陸上・道下美里選手の「伴走」をする天皇陛下」(2018年6月 赤坂御用地)

■1964年東京パラリンピックに寄せられた「希望」

1964年11月8日、第2回パラリンピック東京大会は、21か国378人が参加し開幕しました。日本選手団の団長は「日本の障害者スポーツの父」と呼ばれた中村裕医師。上皇さまは名誉総裁として開会式に臨み、「全世界の身体障害者の人々の上に希望と幸福がもたらされることを念願してやみません」と挨拶されました。

また開会に先立ち、上皇后さまも日本赤十字社の通訳ボランティアの結成式に出席し、「参加される多くの方たちが、自分たちのうちにひそむ、新たな可能性に喜びを持たれ、明るい希望を未来に託される上に、この大会が、何かの役割を果たせますよう望んでおります」と述べられています。

お二人が共に使われたのは「希望」という言葉でした。外国人選手は、多くが社会に出て自立した生活を送りながら競技生活を行っていました。そのいきいきとした姿は日本人を驚かせます。

当時中村医師に誘われ車いすバスケットボールを始め、東京パラリンピックをスタンドから観戦した上野茂さん(故人)は、その時の様子を6年前こう話してくれました。「そりゃ、僕らから見たらもう驚くことばかりです。表情なんかも外国選手は社会人だから明るい。日本の選手は病院にいるから外国と比べたら暗い感じ。外国の選手はいつもにこやかで身振り手振りでキャーキャーやっていました」。外国人選手の姿は、日本の障害者にも文字通り「希望」を与えたようです。

■上皇さまの思いで誕生「全国障害者スポーツ大会」

7日間の期間中、5日間会場に通い、外国のパラアスリート達の快活な姿に触れた上皇さまは、大会終了後、大会関係者を前に「このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」と希望されました。これを受け、翌年から国体の後に「全国身体障害者スポーツ大会」──のちの「全国障害者スポーツ大会」が開催されるようになります。ご夫妻は、皇太子時代ほぼ毎年この大会に足を運び、障害者アスリートたちと交流し支援を続けてこられました。

一方、中村裕医師も翌1965年、就労やスポーツを通じて障害者の自立を支援していく場として「太陽の家」を設立しました。理念は「No Charity,but a Chance!(保護より機会を)」。やがて大企業が出資し、障害者が健常者とともに働く工場やオフィスも施設内に作られます。上皇ご夫妻は、折に触れて「太陽の家」や関連施設を訪れ、障害者の自立への道を見守ってこられました。

■“真のスポーツ”として──上皇さまの夢

1998年長野冬季五輪の後に行われた長野パラリンピックでは、競技会場で自然と生まれた「ウェーブ」に上皇后さまが参加された姿が大きな話題になりました。その直前、上皇さまが「今日,障害者への関心が高まり、福祉も充実し、障害者スポーツも盛んになってきていることに深い感慨を覚えます」と語られた通り、障害者を巡る環境は1964年ごろとは大きく変わっていました。

2016年リオパラリンピック後の誕生日の文書回答で、上皇后さまは「健常者、障害者を問わず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そうした写真の幾つも切り抜いて持っている」と明かした上で、1964年の東京パラリンピック直後に上皇さまが願われた“夢”が実現したと喜ばれました。

「陛下は、リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら、パラリンピックがより深く社会との接点を持つためには、障害者スポーツが、健常者のスポーツと同様、真にスポーツとして、する人と共に観る人をも引きつけるものとして育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。今回のリオパラリンピックは、そうした夢の実現であったように思います」

■再び東京へ・・・思いを受け継ぐ天皇陛下

そしてこの夏、57年の時を経て、パラリンピックは再び東京に戻ってきました。160を超える国と地域など約4400人が参加、22競技539種目が行われるという規模です。

名誉総裁の天皇陛下は、皇太子時代、「全国障害者スポーツ大会」に毎年出席されてきました。2018年の記者会見では、皇后さま、愛子さまと共に車いすバスケットボール選手権大会を観戦したことなどについて、「障害のある方が日頃からのたゆまぬ努力の成果を出すべく一生懸命に競技に取り組む姿には,私のみならず,雅子も愛子も,深い感銘を受けました」と振り返られています。

さらに陛下は「障害者を始め,子どもや高齢者など、いわゆる社会的に弱い立場にある人々が、周りの人たちの支援も受けながら、社会の中で能力を発揮し、活躍できるような環境がつくりだされていくことが一層求められている時代だと改めて感じています」と長年取り組んでいるSDGs(持続可能な開発目標)の考え方も踏まえた思いを明かされました。

■陛下自らパラ選手の「伴走も」

パラスポーツそのものへの理解も深められています。2018年6月、陛下はリオパラリンピック視覚障害マラソンの銀メダリスト道下美里選手の「伴走」を赤坂御用地内で務められました。園遊会で道下選手から「ご一緒する機会があれば」と声をかけられ、陛下は「選手の人たちがどのように競技に臨んでいるのか理解するいい機会」と喜んで受けられたといいます。「伴走の方がどのように選手をリードされているのかということも分かって、大変いい経験になった」と振り返られています。

今回の東京パラリンピック、コロナ禍がなければ、陛下は57年前にご両親がそうしたように、実際に会場に足を運ばれたかっただろうと思います。ご一家はテレビでパラアスリートたちの活躍を熱心に応援されることでしょう。大変厳しい環境の中で行われる今大会ではありますが、どのような「夢」が実現されるのか見守りたいと思います。

(終)