一瞬だった25年 上智大生殺害遺族の思い
1996年9月、東京・葛飾区の自宅で上智大生4年の小林順子さんが殺害された事件は未解決のまま25年。順子さんの父、賢二さんはこの長い月日を「一瞬だった」と語る。去年には、不審人物の新たな証言が寄せられるなど動きも…。事件解決を決して諦めない父の思いを聞いた。
■「あっという間の25年間」
「25年って日数に換算すると9000日以上。時間にするとざっと22万時間。これだけの長い時間なんですが、過ぎてみると本当に一瞬。あっという間の25年間でしたね」
そう語るのは小林順子さんの父、賢二さん。1996年9月9日。上智大学の4年生だった小林順子さん(当時21)は東京・葛飾区の自宅で、何者かに殺害され、自宅に火を放たれた。事件は未解決のまま25年がたち、賢二さんは75歳になった。賢二さんにとってこの時間は、一瞬のようだったという。
「これが事件だと分かった瞬間から、いったいなぜわが娘が。なぜ我が家が。いったい誰が。そんなクエスチョンマークの連続なんです」
疑問は消えないまま、賢二さんは人生の3分の1もの時間を被害者の遺族として、この未解決事件と向き合ってきた。
■自分が果たせなかった夢をかなえた娘
「今でも玄関あけて大学から帰ってきてただいまって帰ってくるようなね。その思いですよ」
賢二さんの思い浮かべる順子さんは、今も21歳の大学生のまま。実は賢二さん自身は、家庭の事情で大学には通えなかったため、周囲の人に「うらやましい」という思いを持っていたという。自分が大学に行けなかったから、娘にはキャンパスライフを謳歌してほしい…。
その思いから、順子さんが気の合う友達とのカラオケやコンパで帰りが夜遅くなった日でも怒ることなく、必ず自転車で駅まで順子さんを迎えに行った。それが父にとっての幸せだった。
「帰る道にほとんど会話は交わさなかったですね。でも言葉はなくても、この子は大学生活を楽しんでるなっていうのが実感として分かっていましたから」
自分に代わって夢をかなえている娘との帰り道。会話がなくともそれが一番充実した時間だった。そんな充実した日々はある日、突然奪われた。事件は、順子さんが海外留学へと旅立つ2日前。海外留学は順子さんの夢だった。
「本人は期待も裏切られ、夢も打ち砕かれ、命も奪われ、本当に無念な気持ちだったと思います」「あの子はね、私の成し得なかった夢を一つ一つ実現していってくれた。またこの先もそういった可能性を持った娘だったとそんな風に思うんです」
■友達が集めてくれた写真
私たちが取材した際に、賢二さんが持ってきてくれた数冊のアルバムの中には、大勢の大学の友人に囲まれ笑みを浮かべる順子さんの姿があった。自宅が放火されたため、多くの思い出の写真が焼けてしまったが、順子さんが写る写真を大学時代の友達が集めて送ってくれたという。数百枚の写真の中には父が知らない順子さんの顔も。
「もうねほとんど飲み会ですよ」「いい友達に恵まれて。本当ありがたいです」
賢二さんはそう言って、嬉しそうに笑っていた。
■「犯人を見たかもしれない」
事件は未解決のまま捜査は長期化している。しかし、犯人に関する情報は数こそ減っているがいまだ寄せられている。去年8月、私たちが賢二さんと自宅の跡地を訪れたとき、こんな一幕があった。
取材の様子を遠くから見つめる女性がいた。「何かご用ですか」と賢二さんがたずねると、女性は震える声で「私犯人を見たかもしれません」と答えた。聞けば、女性はニュースを見て当時現場付近にいた不審な男を思い出し、どうしても賢二さんに伝えなければと現場を訪れたのだという。この女性の証言はのちに重要な目撃情報となった。
警視庁は先月、この女性の情報をもとに、事件発覚のおよそ1時間前に現場付近で目撃された不審人物のイラストを新たに公開。年齢は50代から60代、黄土色の大きめのコートを着ていたという新たな情報も追加された。
■「決して諦めない」
今年も賢二さんは事件があった9月9日を前に最寄りの京成柴又駅前に立ち、情報提供を呼びかけた。事件から25年。2010年に殺人罪の時効が撤廃され、犯人は一生追われ続けることになった。「『私たちは決して諦めない』その思いを発信し続ける地道な活動が実を結び、一刻も早く事件が解決することを期待します」
【情報提供先】
警視庁亀有署特別捜査本部
03-3607-0110
※警視庁ホームページでも受け付けています