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戦後80年…“仲間の死”元日本兵が見た悲惨な戦場【キキコミ】

2025年1月14日 12:34
戦後80年…“仲間の死”元日本兵が見た悲惨な戦場【キキコミ】
生活や仕事に関わるニュース。その現場で「今、起きていること」。当事者が抱える悩みや本音、キーパーソンが進める“新たな解決策”など。知ったら、私たちも何か行動したくなる?ような…情報を、櫻井翔キャスターが自ら「取材(聞き込み)」しつつ、お伝えします。(1月13日放送『news zero』より)

◇ ◇ ◇

尾﨑健一さん96歳。

話してくれたのは、80年前の“悲惨な戦争体験”でした。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「阿鼻叫喚の地獄絵を見ましたね。『尾﨑…尾﨑…尾﨑…』と私の名前を連呼して、息が絶えました」

「国のために働きたい」と少年通信兵の学校に入った尾﨑さん。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「終戦の前の年(1944年)夏休みに帰宅した時の写真」

○櫻井
「まだあどけないというか…」

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「子どもですよ」

このとき16歳。

戦況について何も知らされないまま、2年のところを11か月で卒業させられ、命じられたのが「フィリピン派遣」。

1944年12月。
到着したのは当時、旧日本軍が占領していたフィリピンのルソン島。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「飛行場があったんです。日本軍が管理している。その飛行場に、アメリカ軍の戦闘機が爆撃を毎日している」

○櫻井
「毎日?」

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「ところが、それに対して対空射撃をするとか友軍機が迎撃するとかはまったくありません。もう敗戦状態」

敗色濃厚ななか、衝撃を受けた出来事が…。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「悪徳・非道な日本兵。そんな兵隊なのかと」

尾﨑さんによると、フィリピンのゲリラが、旧日本軍の兵士を襲撃し、殺害。その報復として、日本兵が村を襲ったといいます。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「家に土足で侵入するんです。タンスを引っ張って床にひっくり返す。金目のもの、ネックレス指輪、そういったものを強引にとる。出征する前は、家庭であれ職場であれ真面目な人だろうと思うんです。それが戦地に行くと、こうもひょう変するのかと」

○櫻井
「何がそうさせてしまうんですか?」

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「戦地だから、したい放題やる 群集心理もあるんでしょうね」

○櫻井
「群集心理…」

そして1945年1月9日。
フィリピンを奪還すべく、アメリカ軍がルソン島に上陸。

これは首都マニラに攻め込む、アメリカ軍の映像。圧倒的兵力により、多くの日本兵が命を落とし、尾﨑さんの部隊は、わずか1か月で壊滅したといいます。

そして尾﨑さんは「敗残兵」として、ジャングルの中を7か月にわたって逃げ回ることになったのです。

そこで待っていたのは「飢え」と「仲間の死」でした。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「食う物がないんです。まったくないんです」

○櫻井
「まったく…」

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「ゼロです。山に生えている雑草。雑草の中から食える草を探す。餓死、衰弱死。それがどんどん増えた」

さらに昼夜問わず続くアメリカ軍の攻撃で、仲間たちは、次々と命を落としていきました。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「突然夜中に、迫撃砲の猛爆をうけた。阿鼻叫喚の地獄絵を見ましたね。約30人が死んでいました」

そのなかには、ともにフィリピンに来た通信兵学校の同期の姿もありました。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「びっくりして抱き上げました。あごがなかった。迫撃砲の破片で吹っ飛ばされた。抱き上げて、体をゆすって名前を何度も呼んだら私に気がついて、ろれつの回らない声で『尾﨑…尾﨑…尾﨑…』と私の名前を連呼して、息絶えました」

極限状態のなか、苦渋の決断を迫られた時も…。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「山を歩いている時に、偶然出会いました。山の方を頭にして足を投げ出して(座っていた)」

奇跡的に再会したのは、同じ高知県出身で、学校でも一番仲が良かった同期。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「びっくりして名前を呼んで横に座って、話をしたがもう立ち上がることができなかった」

○櫻井
「衰弱しているということ?」

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「衰弱ですね。『おれは、もうここで死ぬしかない』と。『おれと一緒に行かないか』と言って、背中におぶってでも、と思ったんですが、『ほうっておいてくれ。苦しくない』と。私は断腸の思いで帰ったのですが、10mくらい歩いて後ろを振り返って彼を見て、私は手をあげたんです。彼も手をあげたんです。それが最後でしたね」

9月。アメリカ軍がまいたビラで、「日本の敗戦」を知り、尾﨑さんは投降。

尾﨑さんによると、ともにフィリピンに派遣された仲間は317人。そのなかで生き残ったのはわずか10人。

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「我々の死んだ連中はですね、食う物なくて逃げるだけで、最後は飢え死に。餓死したり衰弱死したりする。せめて私だけでも、それを知らせたい。それが彼らに対しても私の責任であると考えて行動しているわけです」

○櫻井
「これほどの無念の死をより多くの方に伝えたい?」

○元日本兵 尾﨑 健一さん(96)
「少しでも知ってほしい。そして戦争をしないようにしてほしい。それが私の願いです」

○櫻井
取材を終えて数日経った後に尾﨑さんから、“次の世代に伝えたいことがある”と追加のメッセージをいただいています。

「政治に無関心ではいけない。おかしいと思ったら声を上げるなり、何らかの行動に結びつけることが大切である。また、今はそれができる時代でもある」ということでした。

取材の日もご自身でまとめた詳細な資料をもとに、長時間にわたって悲惨な体験をたくさん語っていただきました。

その取材を終えて、なお追加で、このように世の中の人に伝えたいメッセージをいただきました。

政治や時代の流れにあらがえなかったという思い、その悔しさがにじむ言葉だと感じましたし、その思いの強さを、しっかりと受けとめたいと思いました。

(1月13日放送『news zero』より)

最終更新日:2025年1月14日 12:34