【NNNドキュメント】能登半島地震から1か月 倒壊、孤立、避難…それぞれの思い NNNセレクション
元日に発生した能登半島地震。「奥能登」では多数の家屋が倒壊、沿岸部を津波が襲った。犠牲者は200人を超え、道路の寸断で支援が遅れ、孤立集落も発生。残るのか、離れるのか…岐路に立たされる住民たち。あの時、何が起こり、どう動いたのか。様々な映像や取材から紐解く。
◇◇◇
1月1日の大地震から1か月。
「姉が亡くなった。姉と姪っ子か、姪っ子2人」
「姉はもう声がないので、亡くなっているんですけど。生き埋めの人は何人もいます」
救いたいのに、救えない。
1月1日、午前10時。石川県金沢市。
「何事もなく、幸せに生きてほしいです」
しかし。午後4時10分頃。石川県内は、能登地方を震源とする最大震度7の揺れに見舞われました。大津波警報も発表され、多くの人が能登の高台に避難しました。
住民
「高台を目指そうと思って」
記者
「食料とかは?」
住民
「何も持っていない」
記者
「現在、輪島上空です。暗闇の中に真っ赤な炎が出ている所があります」
能登半島の北端、輪島市の中心部は噴き上がる炎に包まれました。
石川県・馳知事
「必ず助けに参りますので、いましばらく耐えてお待ちいただきたい」
朝になると能登へ向かう道路は、どこも大きく崩れていました。
記者
「あ~やばいやばい、電線。電線だ、やばい、だめや」
輪島市にある観光名所「朝市通り」周辺では、一夜にして300棟もの建物が焼け落ちたとみられています。
住民
「自分の住み家だけなんですけど、全然だめです。涙が出るだけ」
記者
「避難所となっている輪島市立輪島中学校です。あっ、いま大きな地震が起きています。大きく揺れています」
消防隊員
「退避―!全員出て!」「離れろー!」
多いときには1日に400回を超える有感地震を観測し、救助活動を妨げました。
石川県内の住宅被害は約5万5000棟、死者は200人を超えました(2月6日時点)。
◇◇◇
残るのか、離れるのか。多くの人が岐路に立たされています。
住民
「息子が金沢にいるので、アパート探してくれている。もうここは捨てにゃだめや、悲しいことに」
住民
「今の家の近くにいたいなとは思っています。もういくらも生きられんと思うから」
金沢から約100㎞離れている奥能登。道路状況が悪化し、支援の届かない孤立集落の存在も次々と確認されました。場所によっては4mを超える津波に襲われた能登の沿岸部。
◇◇◇
珠洲市のタクシー運転手、濱塚喜久男さんは、客を乗せたあとに地震が発生。
濱塚さん
「ここ海岸近いでしょ。慌ててお客さんを連れてあそこ(高台)まで行ったんですよ。最初は波しか見えなかったです。それからガレキとか見えてきたんです」
濱塚さんが撮影した映像。つい数十分前まで乗っていた自分のタクシーが流されてきました。
留守宅に戻ると、自宅の1階部分は完全に潰されていました。去年5月にも、今回と同じ震度6強の揺れに襲われた珠洲市。その時、濱塚さんの自宅は半壊し修理することに。
記者
「この家には戻って来たい?」
濱塚さん
「そうですね。その思いで一生懸命片付けましたから」
修理に約500万円かかった自宅。1月2日から、金沢に住む娘夫婦や孫と一緒に新しい我が家で過ごすはずでした。
しかし、1月1日に起きた大地震が何もかもを奪いました。
濱塚さん
「2回、3回遭うともう限界ですよ。住めんがでないですかね。どっか行くしか…」
悲しみが癒える日は、暮らしが落ち着く日は。心が安らぐ日は。どれくらい待てば、やってくるのでしょうか。
2024年2月4日放送 NNNドキュメント’24『届かない 救えない~能登半島地震から1か月~』をダイジェスト版にしました。
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1月1日の大地震から1か月。
「姉が亡くなった。姉と姪っ子か、姪っ子2人」
「姉はもう声がないので、亡くなっているんですけど。生き埋めの人は何人もいます」
救いたいのに、救えない。
1月1日、午前10時。石川県金沢市。
「何事もなく、幸せに生きてほしいです」
しかし。午後4時10分頃。石川県内は、能登地方を震源とする最大震度7の揺れに見舞われました。大津波警報も発表され、多くの人が能登の高台に避難しました。
住民
「高台を目指そうと思って」
記者
「食料とかは?」
住民
「何も持っていない」
記者
「現在、輪島上空です。暗闇の中に真っ赤な炎が出ている所があります」
能登半島の北端、輪島市の中心部は噴き上がる炎に包まれました。
石川県・馳知事
「必ず助けに参りますので、いましばらく耐えてお待ちいただきたい」
朝になると能登へ向かう道路は、どこも大きく崩れていました。
記者
「あ~やばいやばい、電線。電線だ、やばい、だめや」
輪島市にある観光名所「朝市通り」周辺では、一夜にして300棟もの建物が焼け落ちたとみられています。
住民
「自分の住み家だけなんですけど、全然だめです。涙が出るだけ」
記者
「避難所となっている輪島市立輪島中学校です。あっ、いま大きな地震が起きています。大きく揺れています」
消防隊員
「退避―!全員出て!」「離れろー!」
多いときには1日に400回を超える有感地震を観測し、救助活動を妨げました。
石川県内の住宅被害は約5万5000棟、死者は200人を超えました(2月6日時点)。
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残るのか、離れるのか。多くの人が岐路に立たされています。
住民
「息子が金沢にいるので、アパート探してくれている。もうここは捨てにゃだめや、悲しいことに」
住民
「今の家の近くにいたいなとは思っています。もういくらも生きられんと思うから」
金沢から約100㎞離れている奥能登。道路状況が悪化し、支援の届かない孤立集落の存在も次々と確認されました。場所によっては4mを超える津波に襲われた能登の沿岸部。
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珠洲市のタクシー運転手、濱塚喜久男さんは、客を乗せたあとに地震が発生。
濱塚さん
「ここ海岸近いでしょ。慌ててお客さんを連れてあそこ(高台)まで行ったんですよ。最初は波しか見えなかったです。それからガレキとか見えてきたんです」
濱塚さんが撮影した映像。つい数十分前まで乗っていた自分のタクシーが流されてきました。
留守宅に戻ると、自宅の1階部分は完全に潰されていました。去年5月にも、今回と同じ震度6強の揺れに襲われた珠洲市。その時、濱塚さんの自宅は半壊し修理することに。
記者
「この家には戻って来たい?」
濱塚さん
「そうですね。その思いで一生懸命片付けましたから」
修理に約500万円かかった自宅。1月2日から、金沢に住む娘夫婦や孫と一緒に新しい我が家で過ごすはずでした。
しかし、1月1日に起きた大地震が何もかもを奪いました。
濱塚さん
「2回、3回遭うともう限界ですよ。住めんがでないですかね。どっか行くしか…」
悲しみが癒える日は、暮らしが落ち着く日は。心が安らぐ日は。どれくらい待てば、やってくるのでしょうか。
2024年2月4日放送 NNNドキュメント’24『届かない 救えない~能登半島地震から1か月~』をダイジェスト版にしました。