「桐島聡」容疑者名乗る男が死亡 数十年前から神奈川県内に潜伏か 知人語る「ギター弾いたり…」堂々と生活?
重要指名手配犯「桐島聡」を名乗る男が、29日朝、入院先の病院で死亡したことが確認されました。「ウチダヒロシ」と名乗り、神奈川県内で数十年前から生活していたとみられています。“堂々と生活していた”という男を知る人が、生活の様子を語りました。
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半世紀の時を経て、事件は急展開を迎えました。
捜査関係者によると、今月25日、神奈川県内で入院中の男が、重要指名手配されている「桐島聡」を名乗り、4日がたった29日の朝、死亡が確認されました。
男は、工務店で住み込みで働いていたといいます。
“桐島”名乗る男の近所に住む人
「30年くらいはいるんじゃない? 内田くん、内田くんって呼ばれてた」
「内田洋」と名乗り、暮らしていました。
“桐島”名乗る男の近所に住む人
「(人を)避けている感じはない。堂々としているよ。ここの工事やったりさ。バンドみたいのやってた、昔。ギター弾いたり…」
顔を隠さず、堂々と過ごしていたということです。
今から50年前に起きた、“戦後最悪の爆破テロ事件”。東京・丸の内の三菱重工ビル前で、爆弾が爆発。8人が亡くなり、380人が重軽傷を負いました。
その後も、大手商社などが次々と標的となり、1975年に指名手配されたのが、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、当時21歳の桐島聡容疑者でした。
1975年当時、大学生だった桐島容疑者が住んでいたアパートの扉の前には、生活感漂うビール瓶が並んでいました。警察白書によると、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーらは「表面上は平凡な市民を装いながら、周到に計画を遂行していた」ということです。
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その後、半世紀もの間、桐島容疑者は身を潜めていましたが――
今月25日、事態は急展開しました。
捜査関係者よると、神奈川県鎌倉市の病院で末期の胃がんを患い、「ウチダヒロシ」という名前で入院していたという男が突如、「桐島聡」と名乗ったというのです。
“桐島”名乗る男
「死ぬときくらいは、本名で死にたかった」
病院でこう話したという男は、家族構成など、本人しか知りえない情報を話していたということです。
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男は、藤沢市にある工務店で、数十年前から住み込みで働いていたといいます。
男の様子について近所の人は…
“桐島”名乗る男の近所に住む人
「前は、よく酔っぱらって帰ってきてたよ。ラジオをガンガンかけるから『うるせぇ』って文句言ったこともある」
――桐島とは、わかってない?
“桐島”名乗る男の近所に住む人
「全然知らないよ。内田、内田って言ってたから」
最後に会ったのは、1か月ほど前だということです。
“桐島”名乗る男の近所に住む人
「『体の調子が悪いから、きょう休んで病院行くんだ』って…それっきり会ってない」
2週間ほど前に、路上で倒れた男を介抱したと話す男性は――
“桐島”名乗る男を介抱した人
「しゃべるのがやっと、みたいな感じで。抱えてやって…」
――体格は?
“桐島”名乗る男を介抱した人
「ガリガリ。(手配書より)3分の2くらいまで痩せてる」
その後、男は救急車で運ばれたということです。
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「桐島聡」を名乗り、29日朝、死亡が確認された男。警視庁に対し、事件当時の状況についても話していたといいます。警視庁は、桐島容疑者の親族のDNA型と照合するなどして、本人確認を進めています。