「犠牲になった人たちのことを考えると…」B29による名古屋空襲をきく 東邦高校「慰霊の日」
2024年12月10日、名古屋市にある東邦高校で、"先輩たち"を追悼する「慰霊の日」が行われました。そのきっかけはー
アメリカ軍のB29爆撃機によって名古屋市に初めて空襲が行われた1944年12月13日。
目標とされたのは、現在のバンテリンドームナゴヤがあるエリアです。当時は、日本軍の戦闘機「零戦」のエンジンを作っていた三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場だったといわれています。
この工場では、勤労学徒として多くの若者たちが働いていましたが、空襲により330人が犠牲となり、名東区にある東邦高校の生徒18人と教員も犠牲となりました。
東邦高校 生徒代表:
「空襲で亡くなられた方々を弔い、歴史を学ぶことによって今一度、平和の大切さを考え直すためのものであり、1995年から29年間毎年行われてきた大切な日です」
東邦高校では、戦後50年をきっかけに、空襲で破壊された煙突の一部を三菱重工から譲り受け「平和の碑(いしぶみ)」として慰霊碑を建立。空襲から80年目を迎えた今年、多くの生徒や当時、勤労動員で働いていた卒業生も参加し、献花が行われました。
出席した名古屋市の広沢市長は、「戦後80年近くが経過し、戦争体験者の話を聞く機会や平和について学び考える場が減少している。悲惨な歴史を風化させないため戦争や名古屋空襲を知らない世代の理解を進め、継承する取り組みが必要だと考えている」などと話しました。
空襲から70年目の2014年、名古屋空襲の記憶を風化させないために東邦高校の生徒たちが名古屋市に対し、要望書を提出。さらに2018年には請願書も提出したといいます。
要望書を出してから10年目となる今年、名古屋市は空襲犠牲者を追悼する「なごや平和の日(5月14日)」を制定しました。
慰霊祭のあと、生徒たちは名古屋空襲を経験した先輩の岡島貞一さん(97)に話を聞くため教室に集まりました。
岡島禎一さん(97):
「工場に空襲があった日は、夜勤で自宅に帰っていましたが、自宅から遠くの方に見える工場の3本煙突がなくなっているのが見えた。夕方、工場を見に行ってみるとそこは、地獄のようだった」
空襲直後の光景を見た岡島さんから戦争の恐ろしさについて語りかけられた生徒たちは、「こんな寒い中、工場で犠牲になった人たちのことを考えると胸が詰まります」と心情を語りました。
まもなく迎える戦後80年。
この戦後が、この先“戦前”とならないよう改めて歴史を見つめ直すことも大切なのです。