津波到達地点に“未来の命を守る桜” 震災知らない子どもへ…
岩手・陸前高田市を襲った津波の到達地点に桜の木を植える取り組みが行われています。目的は、未来の命を守ること。その植樹会に、震災後に生まれた子どもたちと参加した母親に、思いを聞きました。
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岩手・陸前高田市に、震災後に植えられた桜の木があります。
桜ライン311 岡本翔馬代表
「今ちょうど見えてる、こちらの3本が、僕たちが一番最初に植えた桜」
冬の寒さに耐えながら春を待つ桜の木は、震災のあった年に植えられ、毎年花を咲かせてきました。
それは“命を守る桜”。植えたのは、岡本さんが代表を務める陸前高田市のNPOです。
桜ライン311 岡本翔馬代表
「この桜並木よりも上に逃げてもらうことで、街のそのときに生きている人の命を救いたい」
11年前、この街を襲った津波で、関連死を含めると1600人を超える命が犠牲となりました。
これまで、明治三陸地震津波やチリ地震津波など、何度も津波に見舞われてきた陸前高田市。当時建てられたいくつもの石碑が避難の大切さを伝えてきました。しかし、そこに刻まれた教訓を知らない人も多かったといいます。岡本さんもその1人でした。
桜ライン311 岡本翔馬代表
「石碑の存在を次の時代を生きている僕たちがちゃんと認識をしていたかというと、残念ながら知らなかった」
先人たちの教訓を生かし切れなかった後悔。“未来の命を守りたい”と決意し、桜を植え始めました。
約18mの津波が襲った陸前高田市。その津波の到達点を結んだ距離は170kmほど。そこに1万7000本の桜を植えて避難の目印にと考えたのです。全国に寄付を呼びかけ、参加者を募って植樹会を開催し、これまでに2000本近くの桜が植えられました。
桜ライン311 岡本翔馬代表
「陸前高田=東日本大震災ではなく、日本有数の桜の街って変えていけたら、この地域の子どもたちにとっても誇らしいものになるのではないか」
“津波があった街”から“桜が命を守る街”へ。
その植樹会への参加を決めた親子がいます。陸前高田市で暮らす臼井照江さん(47)と、震災後に生まれた、4歳の真弘くんと2歳の琴海ちゃんです。
臼井照江さん(47)
「子どもたちと参加するということは、津波とか地震の恐ろしさだったり、経験を話すきっかけにもなる」
高校卒業後、故郷を離れ震災当時は神奈川県で暮らしていた臼井さん。発生から2週間後、ようやく戻れた故郷で目にしたのは、がれきの山でした。
津波で、いとこと同級生が犠牲となりました。両親は無事でしたが、実家は浸水。その家も区画整理で移転し、道路になりました。
臼井照江さん(47)
「道路の真ん中に家がありました」
復興とともに消えていく震災の痕跡。あの日、この街のどこまで津波が押し寄せたのか、震災を知らない子どもたちに伝えたいと、去年初めて植樹会に参加し、桜の木を植えました。
臼井照江さん(47)
「将来、この子たちがその桜を見たりとか、『僕が植樹したんだよ』と」
今は理解できなくても、いつか、桜を植えた経験が子どもたちの命を守ってくれるとの思いがあります。
そして今月5日に行われた植樹会にも、臼井さん親子の姿がありました。植えるのは、八重桜の苗木です。海からの距離は1kmほど。あの日、津波が到達した場所です。海の方向に黙祷をささげ植樹を始めました。
自分の背丈よりも高い苗木を、力を合わせて運びます。今はまだ頼りないですが、この地で根を張り、育っていきます。親子3人、自分たちの手で植えた2本目の桜です。
琴海ちゃん(2)
「おおきくなーれ」
この街で育っていく子どもたちへ、桜を通して伝えたかったことは──
臼井照江さん(47)
「桜の木のもっと上まで行こう、逃げようという行動をとってくれたらいいなと」
「大きい地震あってここまで大きい津波来たんだからね、その目印の桜の木植えたんだよ」と子どもに語りかける臼井さん。
津波の記憶を語り継ぐ“目印”の桜は、この場所で咲き続け、未来の命を守っていきます。