映画館は焼けても…北九州 親子でつなぐ銀幕
83年の歴史がある「小倉昭和館」が大火で焼け落ちた。母と息子、二人三脚でその歴史を守ってきた映画館の灯りは消えてしまうのか?再開を待ち望むファンの支援の輪。「映画館に“続編”があれば…」そう願う親子。人々に愛された記憶を胸に再建への希望をつなぐ。
樋口智巳さん「もうダメ、うちが燃えている。何で止まらない。焼け落ちた。もうダメ…」
8月10日、午後9時すぎ。福岡・北九州市の旦過市場に上がった真っ赤な炎は、老舗の映画館も飲み込みました。80年以上愛され、コロナでも踏みとどまった「小倉昭和館」は、すべてが、がれきに変わりました。
館主の樋口智巳さんと、映写技術を学ぶ息子の直樹さん。
樋口智巳さん「ネオンだけ残ってくれているから。あったことはあったんですよね、ウチ。存在していた…」
息子・直樹さん「普通にまだ上映して、あしたにはしているんじゃないのかな。現実感はない」
レトロな雰囲気が人気でした。売りは、全国でも数少ないフィルム上映。
樋口智巳さん「はい、何にいたしましょう?」
館主みずから売り子も務めます。今どきの映画館では持ち込みは禁止ですが、ここでは何でも持ち込み自由です。
観客「月に1、2回くらい来ている」
観客「北九州の人にとっては、なくてはならない」
創業した祖父の勇さんから受け継いだ「昭和館」を、必死に守ってきました。
樋口智巳さん「居心地のよい場所として、皆さまのご要望に応えていける映画館でありたいと思っています」
しかし、その昭和館は無残な姿に。がれきの中から樋口さん親子が探していたのはー。
樋口智巳さん「健さんのだけでもね。健さんの手紙だけでも…」
父の手伝いを始めたころ、映画館をたたむことを考えていた智巳さん。そんな時に出会ったのが、福岡県出身の俳優、高倉健さんでした。
樋口智巳さん「映画館の経営の難しさや状態を話すと、励ましていただいて。それを励みに、私は今もこの映画館を守っています」
健さんから、智巳さんに届いた手紙です。
『自分に嘘のない充実した時間を過ごされて下さい。』
“自分に嘘のない時間…”。心の支えだった、大切な手紙は見つかりませんでした。
樋口智巳さん「大切な物をいっぱい焼いちゃったから、ファンの皆さんにも健さんにも申し訳なくって」
古い木造の建物が密集する旦過市場。天ぷら油の不始末で出火した可能性があるとみられています。
“北九州の台所”として、市民の食を支えていたこの市場。実は4か月前にも、火災に見舞われていました。昭和館の近くにも火は迫りましたが、その時は被災は免れました。
樋口智巳さん「旦過市場の方々のことを思うと、複雑ですし、ショックですし、胸が潰れる思いです」
新型コロナも映画館を襲いました。客の姿が消え、収入が途絶えました。
樋口智巳さん「こんなに長く休館したことはなかったです」
それでも、地元の旦過市場はいつも支えてくれました。
市場の人「よかったね。ママ。頑張ったね」
樋口智巳さん「皆さん、大変でしたもんね」
市場の人「よかった。また頑張りましょう」
ある晩のこと。
樋口智巳さん「コロナですごい大変やったけど、まだ負けてないね」
息子・直樹さん「ギリギリやね。ギリギリ紙一重」
樋口智巳さん「昭和館の姿っていうのが、見えたんじゃないかと思うんですよ。そして、自分がその場に必要とされていることが。結局、私の後を継いでもらわないといけないから」
息子をいつかは4代目に…。そんな思いも、火災がすべて奪い去りました。
前売券の返金作業が行われた日。
女性「返金していただきたくて来たんじゃないの。これお手紙。お手紙を渡しに来ただけだから。ありがとう、閉館ってしなくて。休館にしてくださってありがとう」
樋口智巳さん「まだ閉館っていう言葉を使えなかった」
女性「絶対使わないで」
樋口さん親子はいま、地域での出張上映会などを企画し、再建への希望をつないでいます。
息子・直樹さん「映画館をやりたいのはやりたいですね。もう1回映画を上映してっていう、あの感じ」
樋口智巳さん「このまだ続編があればですね。今までずっと撮っていただいた続編があればいいですけど。ここで終わりにならないようにとは願っています…」
2022年10月16日放送 NNNドキュメント’22『映画館は焼けても…北九州 親子でつなぐ銀幕』をダイジェスト版にしました。
樋口智巳さん「もうダメ、うちが燃えている。何で止まらない。焼け落ちた。もうダメ…」
8月10日、午後9時すぎ。福岡・北九州市の旦過市場に上がった真っ赤な炎は、老舗の映画館も飲み込みました。80年以上愛され、コロナでも踏みとどまった「小倉昭和館」は、すべてが、がれきに変わりました。
館主の樋口智巳さんと、映写技術を学ぶ息子の直樹さん。
樋口智巳さん「ネオンだけ残ってくれているから。あったことはあったんですよね、ウチ。存在していた…」
息子・直樹さん「普通にまだ上映して、あしたにはしているんじゃないのかな。現実感はない」
レトロな雰囲気が人気でした。売りは、全国でも数少ないフィルム上映。
樋口智巳さん「はい、何にいたしましょう?」
館主みずから売り子も務めます。今どきの映画館では持ち込みは禁止ですが、ここでは何でも持ち込み自由です。
観客「月に1、2回くらい来ている」
観客「北九州の人にとっては、なくてはならない」
創業した祖父の勇さんから受け継いだ「昭和館」を、必死に守ってきました。
樋口智巳さん「居心地のよい場所として、皆さまのご要望に応えていける映画館でありたいと思っています」
しかし、その昭和館は無残な姿に。がれきの中から樋口さん親子が探していたのはー。
樋口智巳さん「健さんのだけでもね。健さんの手紙だけでも…」
父の手伝いを始めたころ、映画館をたたむことを考えていた智巳さん。そんな時に出会ったのが、福岡県出身の俳優、高倉健さんでした。
樋口智巳さん「映画館の経営の難しさや状態を話すと、励ましていただいて。それを励みに、私は今もこの映画館を守っています」
健さんから、智巳さんに届いた手紙です。
『自分に嘘のない充実した時間を過ごされて下さい。』
“自分に嘘のない時間…”。心の支えだった、大切な手紙は見つかりませんでした。
樋口智巳さん「大切な物をいっぱい焼いちゃったから、ファンの皆さんにも健さんにも申し訳なくって」
古い木造の建物が密集する旦過市場。天ぷら油の不始末で出火した可能性があるとみられています。
“北九州の台所”として、市民の食を支えていたこの市場。実は4か月前にも、火災に見舞われていました。昭和館の近くにも火は迫りましたが、その時は被災は免れました。
樋口智巳さん「旦過市場の方々のことを思うと、複雑ですし、ショックですし、胸が潰れる思いです」
新型コロナも映画館を襲いました。客の姿が消え、収入が途絶えました。
樋口智巳さん「こんなに長く休館したことはなかったです」
それでも、地元の旦過市場はいつも支えてくれました。
市場の人「よかったね。ママ。頑張ったね」
樋口智巳さん「皆さん、大変でしたもんね」
市場の人「よかった。また頑張りましょう」
ある晩のこと。
樋口智巳さん「コロナですごい大変やったけど、まだ負けてないね」
息子・直樹さん「ギリギリやね。ギリギリ紙一重」
樋口智巳さん「昭和館の姿っていうのが、見えたんじゃないかと思うんですよ。そして、自分がその場に必要とされていることが。結局、私の後を継いでもらわないといけないから」
息子をいつかは4代目に…。そんな思いも、火災がすべて奪い去りました。
前売券の返金作業が行われた日。
女性「返金していただきたくて来たんじゃないの。これお手紙。お手紙を渡しに来ただけだから。ありがとう、閉館ってしなくて。休館にしてくださってありがとう」
樋口智巳さん「まだ閉館っていう言葉を使えなかった」
女性「絶対使わないで」
樋口さん親子はいま、地域での出張上映会などを企画し、再建への希望をつないでいます。
息子・直樹さん「映画館をやりたいのはやりたいですね。もう1回映画を上映してっていう、あの感じ」
樋口智巳さん「このまだ続編があればですね。今までずっと撮っていただいた続編があればいいですけど。ここで終わりにならないようにとは願っています…」
2022年10月16日放送 NNNドキュメント’22『映画館は焼けても…北九州 親子でつなぐ銀幕』をダイジェスト版にしました。