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令和7年皇室の展望『過去と未来をつなぐ年へ』~両陛下が向き合われる戦後80年と阪神・淡路大震災30年の節目 愛子さま初めての海外訪問は? 大学進学の悠仁さま初記者会見で何を語る?~

2025年1月1日 8:00
令和7年皇室の展望『過去と未来をつなぐ年へ』~両陛下が向き合われる戦後80年と阪神・淡路大震災30年の節目 愛子さま初めての海外訪問は? 大学進学の悠仁さま初記者会見で何を語る?~
写真提供:宮内庁

2024年は皇室の多くの行事がコロナ禍前に戻り、皇室の活動が本格的に再開した年でした。天皇皇后両陛下は、留学した思い出の地でもあるイギリスを公式訪問されました。国内では、能登半島地震と豪雨災害のお見舞いのため、3度にわたり石川県を訪問されました。

両陛下の「令和流」のなさりようが見えてきたこの1年を振り返りながら、皇室の新しい1年を考えます。
(社会部 加納美也子・髙橋英礼奈)

■阪神・淡路大震災30年 両陛下の自然災害への思いは

2024年は、元日に石川県の能登半島を最大震度7を観測する地震が襲いました。両陛下は地震発生直後から被害に深く心を痛め、2か月連続で石川県の被災地を見舞われました。

3月には被害の大きかった輪島市と珠洲市を訪れ、多くの犠牲者が出た輪島朝市などで黙とうを捧げ、避難所では、水道が自由になっていない被災者の生活を気遣われました。さらにほかの地域への心配を続け、翌月には再び被災地を訪れ、穴水町と能登町を見舞われました。

避難所では、腰を落として被災者一人ひとりと目を合わせながら、声をかけ、また消防団員や医療従事者など災害対応に当たった人々を労い、気遣われました。

さらに奥能登では、復旧・復興途上の9月、記録的な豪雨に襲われ再び多くの人々が被災しました。両陛下は12月、豪雨災害の被災地を見舞うため、同じ地域に1年で3度目となる異例の訪問をされました。

両陛下は“複合災害”や“二重被災”と呼ばれる災害によって生じているさまざまな困難について改めて理解を深めると共に、被災した人々と話す中、涙を流す人が多いことに、“二重被災”を受けて心が傷つけられているというように感じて心を痛められたと言います。

2024年は、3度の被災地お見舞いを通じ、両陛下が"国民の中に入り、国民に寄り添い、国民と苦楽を共にする"姿勢を改めて鮮明に打ち出された年ともなりました。

2025年は、阪神・淡路大震災から30年という大きな節目の年です。両陛下は1月17日、阪神・淡路大震災30年追悼式典に出席されます。両陛下は皇太子時代から節目の追悼式典に出席されてきました。

その後の東日本大震災の被災地にもたびたび足を運び、即位後も福島・宮城の台風被災地見舞いや能登半島の被災地見舞いなどを重ね、「令和流」ともいえるやり方で、被災した人々の心に寄り添い、被災地の復旧・復興と明るい未来を願われてきました。

さらに天皇陛下はライフワークとする「水」の研究と同時に「自然災害」「防災」についても考察を深められてきました。1月の阪神・淡路大震災30年追悼式典では、繰り返し自然災害に見舞われる日本の現状を踏まえ、どのようなメッセージを発信されるのか注目されます。

■“戦争を知らない世代”の両陛下が向き合う“戦後80年”

2025年、日本は戦後80年という節目を迎えます。戦争体験者が少なくなる今、戦争の記憶をどのように次の世代につないでいくかは大きな課題です。

戦争体験者でもある上皇ご夫妻は、天皇皇后両陛下の時代、戦争の記憶をたどる「慰霊の旅」として、節目の年に広島・長崎・沖縄・東京を始め、サイパンやパラオなどの国外にも出向き、戦没者や遺族と向き合い慰霊を重ねてこられました。

戦後80年は、天皇皇后両陛下にとって、即位後初めて迎えられる戦後の大きな節目です。2024年のイギリス訪問前、天皇陛下は会見で「私と雅子は、戦後生まれであり、戦争を体験していませんが、亡くなられた方々や苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います」と述べられました。

両陛下が、戦後80年の節目にどのような形で過去の戦争と向き合い、平和を大切にするお気持ちを発信されていくのか注目されます。

■“令和流”の国際親善 本格化の年となるか

2024年6月、両陛下は、共に留学した思い出の地・イギリスを公式訪問されました。国賓としてのイギリス訪問は、昭和・平成・令和と3代続くもので、両陛下は、馬車パレードや晩さん会などの歓迎行事に臨み、チャールズ国王夫妻や長く親交のある王室の人たちと旧交を温められました。

訪問の最終日には、かつて留学していたオックスフォードを初めてお二人で訪れ、恩師らと再会したほか、ゆかりの場所をめぐり、天皇陛下は「思い出の地に雅子と2人で立つことができたのは本当に幸せなこと」と語られました。また訪問中は、英語でのスピーチや若い世代との交流など両陛下ならではのスタイルも話題となりました。

2025年、外国公式訪問が行われれば、即位後4度目となります。両陛下がどのような国際親善の形をみせられるのか期待されます。さらに3月には、コロナ禍で途絶えていた「国賓招待」として、ブラジル大統領の訪日が調整されています。実現すれば、2019年5月のアメリカ・トランプ大統領以来の国賓となります。

コロナ禍後、外国賓客のもてなしに和食や日本酒での乾杯を取り入れるなど、“令和流のおもてなし”も打ち出している両陛下が、宮中晩さん会などで、どのようにもてなされるのかも注目です。

■愛子さま「初めて」づくしの1年 2025年の「初めて」は?

2024年、愛子さまは日本赤十字社「青少年・ボランティア課」で常勤の嘱託職員として社会人の歩みをスタートし、公務との両立に日々励まれています。大学を卒業されるまでは「学業優先」だったため、この1年は社会人として、皇族の公務の「初めて」もたくさん経験されました。

2月には、皇居・宮殿でケニア大統領夫妻を招いた昼食会に出席し、外国賓客をもてなす宮殿行事を初めて経験されました。4月には、お一人で春季雅楽演奏会を鑑賞。初めて出席した園遊会では、出席者から就職を祝う言葉がかけられ、笑顔を見せられる場面もありました。

5月には初の単独公務として国立公文書館で源氏物語に関する特別展をご覧になり、10月には初めての単独地方公務として佐賀県を訪問。国民スポーツ大会の競技を観戦したほか、伝統の手漉き和紙工房などを視察し、地元の人々とも笑顔で積極的に交流されました。

2025年、式典などで初めて「おことば」を述べられる機会はあるのか、国賓来日時の宮中晩さん会へのデビューはあるのか、さらには初めての海外公式訪問はあるのか…愛子さまが公務の幅をさらに広げて行かれることが期待されると共に、社会人2年目として日本赤十字社でのさらなる活躍も注目されます。

■上皇ご夫妻 上皇后さまのけがを乗り越え 穏やかな日々

2024年、共に“卒寿”の年を過ごされた上皇ご夫妻。5月には私的ご訪問で、上皇さまが先の大戦末期に疎開した栃木県日光市の旧日光田母沢御用邸や、終戦を迎えた奥日光湯ノ湖畔の南間ホテル跡地などを巡られました。

7月には、栃木県の那須御用邸で、8月にはお二人の出会いの場・軽井沢での恒例のご静養にも入られました。また都内では、ゆかりのある演奏者のコンサートなどに度々足を運ぶなど、静かで穏やかな生活を送りながら、音楽などを通じたお仲間との豊かな時間も過ごされていました。

しかし、10月上皇后さまがお住まいの仙洞御所で転倒。「右大腿骨上部の骨折」で手術を受け、しばらく車椅子の生活を送られました。毎日熱心にリハビリを続け、12月には杖なしで歩く生活に戻られました。

側近によりますと、けがをした直後は上皇さまもとても心配な様子でしたが、最近は上皇后さまを気遣いながら一緒に朝は御所内を歩き、夕方は赤坂御用地内を散策されるなど順調に回復の途にあると言います。

2025年は3年ぶりに神奈川県の葉山御用邸にご静養に行かれる姿を見られるかもしれません。

■秋篠宮さま大阪・関西万博で中心的役割に 悠仁さま成年記者会見で何を語る?

2024年も秋篠宮ご夫妻は多くの公務をこなし、非常に多忙な日々を過ごされてきました。また12月には外交関係樹立100周年のトルコを公式訪問されました。

2025年、秋篠宮さまは大阪・関西万博の名誉総裁として、中心的な役割を担われます。これまで日本で万博が開催された際は、その時の皇太子が名誉総裁を務め、外国から来日する王族や要人をもてなされてきました。天皇皇后両陛下も万博に関わられますが、秋篠宮ご夫妻が中心となった「おもてなし」を見る機会が多そうです。

二女・佳子さまは、2024年末、30歳になられました。この1年も公務の経験を重ね、ギリシャを公式訪問するなど外国訪問にも慣れ、今や若い世代の皇族の中心的存在として数多くの公務に当たられています。2025年はさらに公務の幅を広げられるのか注目されます。また結婚については、秋篠宮さまが誕生日の会見で「何か話し合っていることは今はない」と話されましたが、引き続き関心が寄せられそうです。

長男・悠仁さまは、2024年9月に18歳となり、39年ぶりに皇位継承資格者として成年皇族になられました。現在、筑波大学附属高校3年生のため、学業を優先され「成年式」は延期されてきました。2025年3月の卒業後は、天皇陛下から「冠」を授かる「加冠の儀」が執り行われるほか、成年の記者会見にも臨まれる予定です。

これまでも、愛子さまや姉の眞子さん、佳子さまも二十歳の会見で初めて自身の言葉で語られ、その人柄や考え方を国民が知る機会となってきました。しかし、民法改正で成人年齢が18歳に引き下げられたため、18歳で成年の会見に臨まれるのは悠仁さまが初めてになります。会見では悠仁さまがどのような話や話し方をされるのか、どのようなお人柄なのか大きく注目されそうです。

4月からは筑波大学生命環境学群生物学類に入学されます。茨城県つくば市のキャンパスへの通学方法はどうなるのかも、関心が寄せられています。当面は学業を優先しつつ、成年皇族として新年祝賀の儀や一般参賀、宮中祭祀など様々な公務や行事に臨まれることが期待されていて、学業との折り合いがつけば、来年度中にも単独公務デビューが見られるかもしれません。

■令和7年の皇室への期待

令和になってから7年目にあたる2025年は、両陛下が戦後80年と阪神・淡路大震災30年という節目にあたり、どのような過去と未来を結ぶメッセージを発信されていくのかが注目されると共に、愛子さまの初めての海外公式訪問が実現するのか、悠仁さまが男性皇族として39年ぶりとなる成年式や会見にどう臨むのかなど、若い世代の皇族方の活躍も期待される年にもなりそうです。

最終更新日:2025年1月1日 8:00