広島土砂災害 地域を見守り続けた男性の10年
お好み焼き「春さん」です。
営業は週に2回のみで、店を開いた日は地元の客などで大忙し。切り盛りするのは、店の名前にもなっている畠堀秀春さん・67歳です。
■畠堀さん
「新しい店ができたらいいよね。長束八木線ができたらずいぶん変わるよね。ワンコインバスをぐるっと回そうかという話も出とる。」
話題にのぼるのは、地元・八木地区のことです。災害から10年。ここは被災した住民たちが集う場でもあります。
■客
「今見たら、爪痕はわずかしか残っていないけど、復興10年長いようで短いねえ」
2014年8月20日。広島土砂災害。土石流が住宅地を襲い、八木地区では53人が犠牲になりました。
■畠堀さん
「当時の考えとしては、避難する気はさらさらなかった。”避難せんでもいい”という判断じゃなくて、”避難”という行動を考えていなかった。」
畠堀さんの自宅にも大量の土砂が流れ込み半壊。
自らも被災者となりました。
地域はバラバラになりかけていました。
つながりを取り戻したい・・・立ち上がったのが畠堀さんたちです。
■畠堀さん
「簡単に身軽に寄れるところ。来てもらうのが一番ですから、そういう建物が作りたい」
災害から2年後にオープンしたのが復興交流館。地域の人が集まり、あの日を語り継ぐ場所です。
去年からは、お好み焼きの店として、営業を続けています。
今でも住民たちの憩いの場。時には当時災害を経験していない人も訪れます。
■客
「私たちも出会えて、いろんな人と出会えた、それは財産だよねって、つい先週話した」
■畠堀さん
「災害を起因にしてここへ人が集まるけど、絆が深まるというか、輪が広がるというのはいいことだと思うから。焼き続けにゃいけんのでしょうね」
店に置かれたポスター。10年前の出来事を学ぼうと、地元の小学生が訪れ制作しました。店は若い世代へ災害の記憶を伝える役割も担い続けています。
■畠堀さん
「子供たちがこんなに関心持って、 12歳当時のことを知らんわけだから。その子らがそうやって自らが学んできたことのまとめをするって、すごいなと思います」
10年の月日のなかで、家族にも変化がありました。
■畠堀さん
「はい、おいで。孫の顔を見るのが癒やし」
この日、自宅に来ていたのは、長女の眞子さん一家です。眞子さんは、この家で災害を経験。現在は結婚して近くに住み、地域のために奮闘する父親の背中を見てきました。
■眞子さん
「実際ここで起きたことを風化させないというために、地域のために頑張っているのは、すごいなと一人の人間として。」
家族に支えられた10年でもあります。
■畠堀さん
「この10年は長かったけど、僕の人生の中ではいろんな出来事があったりして、 前向きな変化が。子供らが成長して新しい家庭を持って、いろんな意味で生きがいになった」
畠堀さんには、新たな役割も加わりました。去年9月、災害の教訓を伝える伝承館がオープン。”副館長”として県内外から訪れる人に当時の様子などを伝えています。
この日は京都・福知山市の民生委員の団体を受け入れていました。
福知山市も過去に大雨の被害にあっており、畠堀さんが語ったのは、地域のつながりの大切さです。
■畠堀さん講演
「生きるためには、周りの人が必ず必要なんです。やはり地域を守るためには、顔の分かる地域になることが本当に必要だと、10年前に改めて感じた。若い人につないでいってください。私も時間はかかりますけど、少しずつまちを変えていくつもりです」
■参加者
「自分だけがこういう経験をしただけで終わるのではなくて、未来につなげる形で減災も含めて、防災について日ごろから意識していくことは大事かなと。」
災害から10年。畠堀さんはこれからも被災地、そして全国の人々の絆をつないでいきます。
【2024年8月20日放送】