藤井貴彦キャスター 被災地取材を続ける理由とは
元日の能登半島地震から5か月あまりが経つなか、県内の被災地の復興は進んでいるのか、「news zero」の藤井貴彦キャスターとともに氷見市の今を取材してきたシリーズは最終回です。藤井さんに被災地の取材を続ける理由や災害報道について聞きました。
藤井キャスター 被災した建物の前で「こういう建物を自分の日常として毎日とらえなければならないというのは、心の安定にはつながらないんでしょうね」
およそ5か月ぶりに氷見市を訪れた藤井キャスターは、復興に向けて一歩ずつ前に進む人たちを取材し、氷見の味覚も堪能しました。
上野キャスター「氷見をいくつか見て回りましたけれど、率直にどんなふうに感じましたか」
藤井キャスター「液状化の(被害を受けた)ところがすごく多くて、時間かかるなという感じがありました。その一方で、我慢されてる方が多くて。我慢している人を孤立させないことが、この後の氷見にはすごく大切だなと思いましたね」
今回の取材では、自らも被災者である氷見の人たちから、能登の人たちを気遣う言葉をよく聞きました。
割烹しげはま 一宮陸雄店主「氷見は能登の入り口ですから、能登の方にもたくさんの方に来てもらいたいなと思います」
倒壊した車庫跡に畑を作った中村巻子さん「1月1日のあの地震以来、自分の中になんかもやもやとしたものが、胸にいっぱいある。私でさえこんなだから、能登の人たちはもっと(つらい)と思うわ。あの人たちが本当、愛おしくて愛おしくてならん」
藤井「能登半島の奥の方がもっと大変だから、そっちの方優先してっておっしゃるんですけど。いや(能登に比べて)被害が軽かった皆さんほど、心の被害が大きかったりするんですよ。だから自分の思いだけはとどめないでもらいたい。なので、コンコンとドアをノックするように、本当は何か思ってることがあるんじゃない?って聞き続けてあげたいし、私たちに話をすることによって心が軽くなるんだったら、その役割を担いたいなと思いながら仕事してます」
被災した人の声に耳を傾け、不安な気持ちをやわらげる手助けをしたい。それが、藤井キャスターが被災地取材を続ける理由です。
また、視聴者との対話も大切にしているといいます。
藤井「私、新型コロナウイルス対策の呼びかけの時に、たくさんおほめの言葉もいただいたんですけど、その半分ぐらい批判の声もいただきました。でもあの時ステイホームで、ストレスが皆さんたまってて。そのストレスを私に投げつけて少し楽になるんだったら、それも自分の役割だなと思って。その時はエゴサーチしましたよ。とげとげしい鋭い言葉を向けて批判されたけど、それで少し気持ちが軽くなるならよかったなと思って。そういうふうに『話を聞く』『批判を受ける』これも僕らの仕事なんだなって思ってます」
上野「そのあたりは肝に銘じていきたいと思います。私も4月からニュース番組を担当するようになって、どうやって被災された方と向き合っていけばいいのかなと思ったんですけれど」
藤井「いろいろ“キャスター像”みたいなのを作ったと思うんですけど、富山県の皆さんのために仕事する、このスタンスが決まれば、そんなキャスター像なんていらないと思いますよ。今までだってね、富山県内で知らない人はいない」
上野「いや、そこまでではないですけど…」
藤井「それ自体がインフルエンサーなんですよ。インフルエンサーがやれることがたくさんあるのが災害の直後だと思います。だからこそ、自分が元気になって日常生活以上の余裕ができたら、どんどん被災地へ行って『まだこうなんです』と伝えてあげることが僕らの仕事だし、少しでも会話して被災者の方が笑顔になってくれたら、それは僕らのエネルギーが相手に提供できたっていう証拠なんですよね」
藤井キャスターにも“迷った”瞬間があったといいます。東日本大震災の被災地を取材した時のことでした。
藤井「私たちが被災地に行って『笑っていいのか』って思ったんですよ。笑っちゃいけないのかなって。でも向こう(被災者)が笑ってるんですよ。そしたら、僕らも笑っていいんですよ。『こんなことがあってね、大変だったんだよ、アハハ』と言われて『あぁ、そうですか…』ってなってはいけない。だから相手の気持ちをくみ取って、笑顔になった時に『よかった!よしまた来よう!』って思えばそれでいいと思います。だからキャスター像というか、上野さんの生き方そのままでいいと思いますよ。だって、信頼してる後輩ですもん」
さまざまな被災地を見てきた藤井キャスター。富山の被災地の今後についてはどうみているのでしょうか。
藤井「どんどん差が生まれます。復興・復旧しているところは日常生活に戻っていくんですけど、そうじゃないところはどんどん引き離されていくというか。そういうところの人達って不満がたまってくるんですよね。なんで私たちは復旧・復興できないんだ、と」
上野「差が生まれるっておっしゃいましたけど、確かに富山県内でも、きょうおうかがいした氷見は液状化の影響があるんですけれど、全く何もないところもあって、実はその差って既に生まれている部分もあるんじゃないかなと思うんですよね。そういう中で、被害が大きくなかった地域の方は、どう地震と向き合っていけばいいんですかね」
藤井「いや、日常生活を送ったらいいと思います。だって、日常生活を送るために復旧・復興があるんですよ。だから堂々と日常生活を楽しんで人生を楽しまれたらいいと思います。でもそれ以上に余裕ができた方は、今も苦しんでる方のところに何かを提供できたら、それは助け合いですよね」
上野「例えばきょうおいしいお刺身をいただいて」
藤井「はい、おいしかった」
上野「カキもいただいて。だから、そんなに被害の大きくなかった県内の方も、そうやってどんどん氷見に来てもらって、消費をして盛り上げる。そういう形でいいということですね」
藤井「そう。誰かを助けるためには自分が元気じゃないといけませんから。『元気になりたいのに元気になっていいかな』なんて思う必要ないです。どんどん元気になって、どんどんいろんな人に声かけて助けてあげたらいいと思いますよ。あっ、俺…」
上野「ちょっと藤井さんの声が私心配です」
藤井「すいません、フリーになって2か月ちょっと、仕事を入れすぎまして、頭の中まだ20代前半だったんですけど、50代前半であることがこの私ののどでやっと分かりました。誰かの支えになろうと思って頑張ってきたんですけど、まず自分のことを考えようと思います。本当に申し訳ありませんでした」
上野「藤井さん、のどをいたわってください」
藤井「はい、今度ベストな状態で来ますので、またこれからも富山県の皆さん、あたたかく上野キャスターと共に見守っていただければ幸いです。本当にありがとうございます」
上野「こちらこそありがとうございました」
藤井キャスター 被災した建物の前で「こういう建物を自分の日常として毎日とらえなければならないというのは、心の安定にはつながらないんでしょうね」
およそ5か月ぶりに氷見市を訪れた藤井キャスターは、復興に向けて一歩ずつ前に進む人たちを取材し、氷見の味覚も堪能しました。
上野キャスター「氷見をいくつか見て回りましたけれど、率直にどんなふうに感じましたか」
藤井キャスター「液状化の(被害を受けた)ところがすごく多くて、時間かかるなという感じがありました。その一方で、我慢されてる方が多くて。我慢している人を孤立させないことが、この後の氷見にはすごく大切だなと思いましたね」
今回の取材では、自らも被災者である氷見の人たちから、能登の人たちを気遣う言葉をよく聞きました。
割烹しげはま 一宮陸雄店主「氷見は能登の入り口ですから、能登の方にもたくさんの方に来てもらいたいなと思います」
倒壊した車庫跡に畑を作った中村巻子さん「1月1日のあの地震以来、自分の中になんかもやもやとしたものが、胸にいっぱいある。私でさえこんなだから、能登の人たちはもっと(つらい)と思うわ。あの人たちが本当、愛おしくて愛おしくてならん」
藤井「能登半島の奥の方がもっと大変だから、そっちの方優先してっておっしゃるんですけど。いや(能登に比べて)被害が軽かった皆さんほど、心の被害が大きかったりするんですよ。だから自分の思いだけはとどめないでもらいたい。なので、コンコンとドアをノックするように、本当は何か思ってることがあるんじゃない?って聞き続けてあげたいし、私たちに話をすることによって心が軽くなるんだったら、その役割を担いたいなと思いながら仕事してます」
被災した人の声に耳を傾け、不安な気持ちをやわらげる手助けをしたい。それが、藤井キャスターが被災地取材を続ける理由です。
また、視聴者との対話も大切にしているといいます。
藤井「私、新型コロナウイルス対策の呼びかけの時に、たくさんおほめの言葉もいただいたんですけど、その半分ぐらい批判の声もいただきました。でもあの時ステイホームで、ストレスが皆さんたまってて。そのストレスを私に投げつけて少し楽になるんだったら、それも自分の役割だなと思って。その時はエゴサーチしましたよ。とげとげしい鋭い言葉を向けて批判されたけど、それで少し気持ちが軽くなるならよかったなと思って。そういうふうに『話を聞く』『批判を受ける』これも僕らの仕事なんだなって思ってます」
上野「そのあたりは肝に銘じていきたいと思います。私も4月からニュース番組を担当するようになって、どうやって被災された方と向き合っていけばいいのかなと思ったんですけれど」
藤井「いろいろ“キャスター像”みたいなのを作ったと思うんですけど、富山県の皆さんのために仕事する、このスタンスが決まれば、そんなキャスター像なんていらないと思いますよ。今までだってね、富山県内で知らない人はいない」
上野「いや、そこまでではないですけど…」
藤井「それ自体がインフルエンサーなんですよ。インフルエンサーがやれることがたくさんあるのが災害の直後だと思います。だからこそ、自分が元気になって日常生活以上の余裕ができたら、どんどん被災地へ行って『まだこうなんです』と伝えてあげることが僕らの仕事だし、少しでも会話して被災者の方が笑顔になってくれたら、それは僕らのエネルギーが相手に提供できたっていう証拠なんですよね」
藤井キャスターにも“迷った”瞬間があったといいます。東日本大震災の被災地を取材した時のことでした。
藤井「私たちが被災地に行って『笑っていいのか』って思ったんですよ。笑っちゃいけないのかなって。でも向こう(被災者)が笑ってるんですよ。そしたら、僕らも笑っていいんですよ。『こんなことがあってね、大変だったんだよ、アハハ』と言われて『あぁ、そうですか…』ってなってはいけない。だから相手の気持ちをくみ取って、笑顔になった時に『よかった!よしまた来よう!』って思えばそれでいいと思います。だからキャスター像というか、上野さんの生き方そのままでいいと思いますよ。だって、信頼してる後輩ですもん」
さまざまな被災地を見てきた藤井キャスター。富山の被災地の今後についてはどうみているのでしょうか。
藤井「どんどん差が生まれます。復興・復旧しているところは日常生活に戻っていくんですけど、そうじゃないところはどんどん引き離されていくというか。そういうところの人達って不満がたまってくるんですよね。なんで私たちは復旧・復興できないんだ、と」
上野「差が生まれるっておっしゃいましたけど、確かに富山県内でも、きょうおうかがいした氷見は液状化の影響があるんですけれど、全く何もないところもあって、実はその差って既に生まれている部分もあるんじゃないかなと思うんですよね。そういう中で、被害が大きくなかった地域の方は、どう地震と向き合っていけばいいんですかね」
藤井「いや、日常生活を送ったらいいと思います。だって、日常生活を送るために復旧・復興があるんですよ。だから堂々と日常生活を楽しんで人生を楽しまれたらいいと思います。でもそれ以上に余裕ができた方は、今も苦しんでる方のところに何かを提供できたら、それは助け合いですよね」
上野「例えばきょうおいしいお刺身をいただいて」
藤井「はい、おいしかった」
上野「カキもいただいて。だから、そんなに被害の大きくなかった県内の方も、そうやってどんどん氷見に来てもらって、消費をして盛り上げる。そういう形でいいということですね」
藤井「そう。誰かを助けるためには自分が元気じゃないといけませんから。『元気になりたいのに元気になっていいかな』なんて思う必要ないです。どんどん元気になって、どんどんいろんな人に声かけて助けてあげたらいいと思いますよ。あっ、俺…」
上野「ちょっと藤井さんの声が私心配です」
藤井「すいません、フリーになって2か月ちょっと、仕事を入れすぎまして、頭の中まだ20代前半だったんですけど、50代前半であることがこの私ののどでやっと分かりました。誰かの支えになろうと思って頑張ってきたんですけど、まず自分のことを考えようと思います。本当に申し訳ありませんでした」
上野「藤井さん、のどをいたわってください」
藤井「はい、今度ベストな状態で来ますので、またこれからも富山県の皆さん、あたたかく上野キャスターと共に見守っていただければ幸いです。本当にありがとうございます」
上野「こちらこそありがとうございました」