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原発の在り方を問う 被災地・珠洲過去に建設計画が 反対運動が防いだ被害

2024年5月14日 19:22
原発の在り方を問う 被災地・珠洲過去に建設計画が 反対運動が防いだ被害
元日の能登半島地震では志賀原発をめぐる課題も浮き彫りになりました。半島にある原発ゆえの住民の避難の問題など。
そして、能登半島には志賀原発以外にもかつて原発を建設する計画がありました。

先週末、金沢市内で「脱原発」を掲げる団体の会合が開かれていました。その会合に、講師として招かれた弁護士の井戸謙一さん。元裁判官です。

井戸さんは18年前の2006年志賀原発2号機をめぐる住民訴訟で裁判長を務め、運転差し止めを命じました。その後、二審で判断は覆りましたが、東日本大震災より前、原発事故への危機感がまだ薄い中、当時の判断は全国的にも注目されました。


井戸謙一さん:
「問題にしたのは陸域の邑知潟断層。この部分の活断層、これの評価が問題になって評価が過少だという事が差し止め判決の根拠になったんですが、海域に問題になるような活断層があると思ってなかった」

原発訴訟では以前から耐震性、地震のリスクが争点となっていました。そして、井戸さんが言及したのは

井戸謙一さん:
「高屋地区と寺家地区は珠洲原発の予定でしたけどその直近に活断層がある」


かつて珠洲市で建設が計画された原発のことでした。

珠洲原発の計画が浮上したのはおよそ50年前。北陸電力が調整役となり、中部電力が寺家地区に関西電力が高屋地区に建設を予定していました。地元の推進派は、過疎に歯止めをかけられると、期待をかけていましたが…原発の危険性を訴える住民らが阻止行動を起こし、珠洲を二分する事態となりました。

そして、計画浮上から28年後の2003年。電力会社が経営環境の変化や地元での反対運動などを理由に計画凍結を表明。事実上の建設断念でした。

それから丸20年経ったことしの元日。激しい揺れが珠洲を襲いました。

そしておととい。
脱原発を掲げる全国の元市長や町長らが現地の視察に訪れました。のどかな景色が広がっていた珠洲市の高屋地区。海岸は隆起して陸地が広がっていました。

北野進さん:
「このあたりは全部隆起です。黒っぽい岩は以前からの岩白いところは全部海(だった)場所です」


案内していたのは、珠洲市在住の元県議で今の志賀原発訴訟の原告団長でもある北野進さんです。

北野進さん:
「原発に反対していた当時はいろいろ原発の危険性は言ってきたけどこの隆起は私たちもあの当時は想定していなかったし」

視察に訪れた一行の中に、13年前の東日本大震災当時、福島県南相馬市の市長だった男性がいました。福島第一原発の事故では多くの市民が避難を強いられました。

南相馬市長・桜井勝延さん:
「2024年にこれだけ大きな地震が来て結果として(珠洲の)住民は被害受けたけど原発事故にまではつながらなかったそういう意味では反対運動をした地元の皆さんの力が災害を小さくしたことにつながった」

高屋地区は元日の地震の後、一時孤立状態に。また、志賀原発そのものは深刻な事故には至らなかったものの、避難ルートが寸断されたほか、住宅に多くの被害があり、屋内退避も難しい状態となりました。

南相馬市長・桜井勝延さん:
「福島第一(原発の事故)を経験して、避難が圧倒的にできなかったし、(避難を)しても避難先での苦労もあるし、帰還することのハードルも高くなってくるから原発事故が起こってからでは遅い」


能登半島地震で原発事故は起きませんでしたが、地震の被害は甚大で多くの人が住み慣れた土地を離れています。

志賀原発をめぐっては、原子力規制委員会で再稼働に向けた審査が継続中。

また、石川や富山の住民らが廃炉を求める訴訟を起こしていて、きのう、能登半島地震の後、初めてとなる口頭弁論が開かれました。


原告側は実際の地震の被害を踏まえ「避難計画には実効性がない」などと 問題点を指摘しました。北陸電力は地震の後、「1、2号機ともに安全確保に問題は生じていない」としたうえで、「新しい知見を的確に反映し、安全安心を確保しながら再稼働につなげていきたい」としています。

この国の原発のあり方は…安全性は…有事の際の避難計画は…

さまざまな課題が能登半島地震を機に改めて問われています。

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