2度の酒蔵全壊を乗り越えて…もう一度「輪島の酒」を造りたい 8代目の挑戦に密着
元日の地震で大きな被害を受けた輪島市の「中島酒造店」。
支援の輪が広がり再び酒造りを始めています。
再建へと歩み始めたこの3か月間を追いました。
タンクに注がれる醸造されたばかりの日本酒。
込められていたのは…
中島酒造店8代目・中島遼太郎さん:
「すっきりとした辛口で酒造りへのあくなき情熱と復興への思いです」
ことし1月。輪島市内でがれきの片づけに追われる1人の男性。中島遼太郎さん。明治から続く中島酒造店の8代目です。
中島さん:
「今まさに仕込みのためのお米を置いていた蔵、横は製造するための蔵、そこが全部潰れてしまっているので」
元日の地震で酒蔵は全壊し、数千本のお酒が下敷きに。
自宅も失いましたが、中島さんにはある思いが芽生えていました。
中島さん:
「先代のときも能登の震災で被災していて、やっぱり酒造りをやめれなかったんですね。その気持ちがやっと分かったかなっていう」
いまから17年前にも震度6強の地震で酒蔵が全壊した中島酒造店。
ことしの元日に再び被災したことで先代である亡き父の思いと自らの酒造りへの情熱に気づいたといいます。
中島さん:
「残せるお米があるのなら、ちょ っと助けてほしいっていうようにご相談させていただきまして」
あの酒米があれば再建への道が開けるかもしれない。
潰れた蔵から運び出したいと考えていたのはおよそ4トンのお米。
中島さんの思いに応えようと輪島を拠点に活動する災害ボランティアが力を貸してくれることになりました。
災害ボランティア・ 吉村誠司さん:
「ちょうど今はお酒を仕込んでいる時期だって言ってて、ああそうだったんだって言っててよっしゃこれは大切だと思ったのと」
「お米を出せれば、必ずこのお酒が復活すれば希望が見えてくると思ったし、やっぱこのそれを続けること大切だったんで」
「りょうちゃん、この奥におるんだっけ」
「この奥潜ってたらさ、向こうっ側ないんだわ。もう」
「ほんならジャッキ買って浮かせれば全然いける」
中の様子をうかがいながら少しずつ慎重に運び出されていくコメ袋。
ボランティアたちが連携し、ほとんどのお米を救い出すことができました。
それから半月後。
中島さんのもとに、思いがけない吉報が。
トラックに積まれていたのは潰れた蔵から運び出したあのお米です。
「神泉」で知られる小松市内の酒蔵、東酒造が中島さんの酒造りに手を貸してくれることになったのです。
被災した能登の同業者の役に立ちたいという思いからの申し出でした。
東酒造・東 祐輔さん
「とりあえず、2月22か???やし。それに合わせて製造計画、また立てたいと思さかいに」
「うちの仕込みあればなんかアドバイスほしいし、あはは使い勝手違うと思うけど」
自身が受け継いだ「能登末廣」のラベルがついた日本酒を復活させたい。
蔵も設備も異なる環境で中島さんの挑戦が始まりました。
蔵から取り出したお米を洗い…
味の決め手となる麹作りへ。
ホワイトボードに細かくデータを書き出し温度の管理も徹底します。
市内のアパートから東酒造に通い、ときには蔵に泊まり込んでまで酒造りに没頭した中島さん。
様々な工程を経て、1か月後には、酒米が日本酒を絞る前段階の「もろみ」になりました。
中島さん「やっとここに全量入るじゃないですか。その時に実感が湧くというかあと1か月せずにお酒出来ちゃうどうしようみたいな 」
「やっぱりいいなと思いますよね」
そして先月。
ようやく「もろみ」から初めて日本酒を絞る「初しぼり」の日を迎えました。
タンクに注がれる醸造されたばかりの透き通った日本酒。
そっと口に含むと…
中島さん:
「すっきりとした辛口で、香りもすごくよくておいしいです」
中島さんにはこの日本酒を真っ先に味わってほしい人達がいました。
「おかえり。お~、おめでとうご ざいます」
「ただいま」
あの日、酒米を救い出してくれた災害ボランティアの人たちです。
中島さん:
「皆さんのおかげでやっとこのお酒ができていろんな人に届け れるようになりました」
「やっとお届けできる時が来ました」
ボランティアの皆さん:
「あ、すごいかおり」
「苦労したかいあったね」
「前の光景が、ね、思い浮かぶ」
「お酒が復活するのは輪島が復活する1つのキーだと思いますんでいいお酒ができてよかった です」
中島さん:
「まだイメージはできないですけど理想としてはここですよね」
「ここでやってたからここでやりたいし」
いまだ厳しい状況が続く奥能登の被災地。
それでも出来ることならこの地で酒蔵を再建したい。
中島さんはその日が来ることを信じて、これからも歩み続けます。