【解説】復興への思い年賀の便りに 野口さんの目からウロコ
市川 栞 キャスター:
北國新聞論説委員の野口強さんとお伝えします。よろしくお願いします。きょうはどんな話題でしょうか。
北國新聞論説委員・野口 強 さん:
来年の年賀状の受け付けが15日から始まります。もう書き上げた人、今からエンジンが掛かる人さまざまでしょうが、ことしは特別な思いを持って出す人が多いんじゃないでしょうか。
野口さん:
地震発生1年となる来年1月1日は、県民にとっての鎮魂の日となります。
市川:
年賀状にあけましておめでとうと書きづらいという人も多いようですね。
野口さん:
そこで、きょうのテーマはこちら。
野口さん:
「復興への思い年賀の便りに」
今やSNSの全盛時代で、新年のあいさつをメールなどで済ませるスタイルが広がっています。
野口さん:
人口減少や配達員の減少もあって全国の年賀はがきの発行数は、2003年の44億5936万枚をピークに減少傾向が続き、来年用は10億7000万枚です。
市川:
日本郵便北陸支社によると、北陸三県は2806万枚で、前の年よりも27%以上減っているそうですね。
野口さん:
今回から1枚63円から85円にアップしたことも大きく影響しているとみられます。
野口さん:
若い人の間では年賀メールが広がっていますが、市川さんは紙のはがきの年賀状って書きますか。
市川:
実家で生活していたころは両親と一緒に毎年作っていましたが、最近はほとんど書かず、SNSのメッセージで済ませてしまっています。
石川県では、律儀でマメな人が多いのか、例えば県内で最も多く取り扱う金沢中央郵便局では、1月1日の配達数は、ずっと、全国の郵便局のトップ10前後にランクインしています。今年の場合も199万6千通と、全国で11番目の多さだったそうです。
そこで一つ目の目からウロコです。
野口さん:
「被災地から届いた幸を願う一筆に涙」
儀礼を大切にする土地柄ですから、毎年、年賀状が届くのを心待ちにしている人は多く、今年、奥能登の郵便局が地震発生から3週間後に再開されると、年賀状を受け取る人が長い列を作りました。
野口さん:
中には、安否不明になったり、被災して亡くなった人が地震直前に出した年賀状もあって、避難所に身を寄せる中、幸福を願う亡き友人の年賀状に励まされ、涙があふれたという人もいました。来年に向けて、被災者から、あるいは被災者へ、年賀状を出していいかどうか迷う声も聞かれます。
市川:
「被災した人に出すのは気の毒」「普段通り出せば相手が不快に思う」と、ためらう人もいるようですね。
野口さん:
一方で「支援を受けた人にお礼を言いたい」「仮設住宅に住んでいることを伝えたい」といった理由で、積極的に出す人もいるようです。さまざまな思いが交錯する中で、先日、日本郵便の職員の方が被災地に出向いて、書き方をアドバイスしたように、例えば「健やかな1年になりますように」「実りある1年になりますように」「おだやかな1年になりますように」といった一筆を添えることで、ぬくもりが伝わると思います。
そこで二つ目の目からウロコです。
野口さん:
「つながりの復活へ『お年玉』も一役」
年賀状は明治32年に始まり、戦時中の空白を経て戦後間もない1948年に再開しましたが、終戦の混乱で利用は低調でした。
野口さん:
そこで「くじ引きを取り入れたら夢があっていいんじゃないか」という民間からの提案があり、このアイデアが1950年の正月用に採用され大ヒットしました。
市川:
これがお年玉付き年賀はがきの原型なんですね。
野口さん:
現在も続く国民的年中行事になったわけですね。
野口さん:
この発想の根底には「年賀状の交換が活発になれば、戦争で音信不通になった人の行方を確かめるきっかけになり、つながりが復活できるんじゃないか」という時代のニーズがありました。
野口さん:
戦争と自然災害は比べようもありませんが、復興する上で最も大切な、人と人のつながりを再構築する「道具」として、災害に見舞われた今こそ、年賀状のもつ役割は大きいと思います。
野口さん:
喜びよりも悲しみの分量が圧倒的に多かった1年でしたが、地震を乗り越える新たな年の平穏を願い、気取らず構えず「元気ですか」のひと言を添えて、ポストに入れてはいかがでしょうか。
市川:
ありがとうございました。野口さんの目からウロコでした。