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【「能登半島地震」で「震災」の教訓は活かされたのかー】『大津波警報』発表 4m近い津波押し寄せる中「住民はどのような行動をとったのか」

2024年3月13日 19:45
【「能登半島地震」で「震災」の教訓は活かされたのかー】『大津波警報』発表 4m近い津波押し寄せる中「住民はどのような行動をとったのか」
能登半島地震」では、『大津波警報』が発表され4m近い津波が押し寄せる中、住民はどのような行動をとったのかー。「東日本大震災」の教訓は活かされたのかー。

「能登半島地震」で4メートル近い津波が押し寄せた石川県珠洲市。

垂直避難を選択して、難を逃れた女性がいる。
石塚愛子さんだ。
珠洲市の鵜飼漁港、その目の前に自宅があった。

石塚愛子さん
「ずっと揺れが止まらなくて、とにかく強い揺れがずっと続いていた」

揺れが収まった直後、2階のベランダに上がった石塚さん。そのとき、目に入ってきたのは避難しようと道を歩く近所の人たちの姿だった。よぎったのは「東日本大震災」だ。

石塚愛子さん
「叫ぶ。 叫び続ける。来るまで叫び続ける。『いいから上がって』しかないし『いいから階段上がって』と。どこに階段があるか分からないけれど、探せば階段あるからって感じで」

これはその時、ベランダから撮影された映像だ。
近所の人たちをベランダに上げた直後、津波は渦を巻くように家を取り囲んだという。

石塚愛子さん
「道が寸断されていたので、瞬時に高台というとベランダだったというただそれだけ。
人によってはなぜ逃げなかったのかと言われる場合もあると思うけれど、その時できるベストはここに逃げることだったと思います。
それが横なのか上なのかは、その時置かれた状況で、本当に変わるんだなと」

「能登半島地震」直後、沿岸部にいた人がどのような行動をとったのか。
推測できるデータがある。

携帯の基地局情報をもとにした人流の解析だ。
例えば、珠洲市の海沿いのエリアでは、地震を挟んで急激に人が減っている一方、海から1キロほど離れた内陸では大きく増えていることがわかる。

また、浸水が想定されていたエリアの人の動きを見ると、津波の浸水が想定されていたエリア(オレンジ色)からは大きく人口が減っていて、特に1m以上の津波が来る高いレベルでの津波の浸水が想定されていたエリア(緑色)では、明確に人口が減っている。

東北大学・永田彰平助教
「『大津波警報』が出たことで、間違いなく高台に向けた避難が実施されただろうと、かつ浸水リスクが高い所ほど明確にみられたので、日頃から津波のリスクを意識されていたのではないか」

〝揺れたら高台へ〟

「東日本大震災」の教訓が生かされた町が、能登半島の先端にあった。
石川・珠洲市三崎町の寺家下出地区だ。

大きな揺れのあと、ここに住む出村正幸さんが自宅を飛び出すと、目の前の海に"異変"が起きていた。

出村さん
「砂浜がすこんと引いた、ビックリするくらい。『東日本大震災』の教訓として、大津波が来る前に波がいったん引くと知識としてあったので…」

それでもここ数年、地震は起きても津波が来なかった経験が、出村さんの判断を鈍らせる。
すぐには避難せず、しばらく海の様子を見ていると…。

出村さん
「振り向いたら車がすでに流されていた」

ようやく避難を始めた出村さん。 しかし、「日頃の訓練」が沁みついていた。

出村さん
「2011年から津波の避難訓練を定期的にやっていたので、どこに逃げればいいか分かっていた。どこが最短か分かっていたので」

すぐに、避難路のひとつ通称「ようもん坂」と呼ばれる100段の階段を目指す。

出村さん)そこを登ってしまえば避難所である集会場にすぐにいける、 数分で
柳瀬キャスター)その判断は迷いようがなかった?
出村さん)頭に入っていた
柳瀬キャスター)蓄積ですか?
出村さん)訓練のおかげ。訓練がなかったら迷っていた。迷っていたら遅れるから

この地域で訓練が始まったのは2011年。

〝津波が来ても大きな被害はないだろう〟
訓練に消極的な意見もあったなか、住民の気持ちを1つにしたのは「東日本大震災」。
それ以来、自主防災組織として、年に2回から3回訓練を続けてきたと言う。

出村さん)当時は、みなさん切羽詰まれば、こんなにお年寄りが早く動けるのかというくらいシャカシャカ登って行った
柳瀬キャスター)みなさん本当にそういう意識づけがされてたんですね
出村さん)はい

階段を上った先にあるのが、高台の集会場。

地震当日、この場所に避難してきた高齢の2人。

高齢者2人
「この人もちゃんと一緒に津波が来るんじゃないと言って5分くらいで上がってきて、みんな集まっていた」
「津波にのまれた人いないのよ、訓練が効いているから」

また、出村さんは、近所の身体が不自由な人を背負って避難したそうだ。
〝地区の中の誰が、避難に手助けが必要か〟これも繰り返しの訓練で把握できていたという。

この地区に住む40世帯80人。

そして、帰省で戻っていた人も含めて200人近くが、全員けがもなく無事だった。

柳瀬キャスター)じゃあここに全員集合できたのは訓練のたまものですね
出村さん)そうですね。海の地域といえども、今まで一度も大津波が来たこともないので、(訓練が)必要あるのかという意見もあった
柳瀬キャスター)賛否両論あるなかでも皆さんが訓練に参加したのには、2011年の『東日本大震災』が大きなきっかけだったか?
出村さん)非常に大きかった、非常に大きかったです。やはり、やらなければいけないとまとまった大きな理由にはなったかもしれないですね

13年前、多くの命が失われた教訓は、遠い「能登の地」に深く刻まれていた。

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