【石巻】3月11日、被災地を訪れた人々の思い「なんで一緒に逃げなかったのか」「子どもたちにも伝えたい」

2025年3月11日の朝、石巻市の日和山には日の出とともに海に向かって手を合わせる人の姿が見られた。
涌谷町から来たお寺の住職は、「月命日には毎月来ている。志半ばで亡くなった人には、少しでも安らかに眠ってほしいという思い、そしてここまでの復興の感謝、今後のさらなる復興の祈願をしている」と語った。
震災後、ボランティアで来ていた横浜市の女性は、「毎年この日は石巻で過ごしていて、子どもたちにもいざという時は自分の命を守るようにということを教えている。」と話した。
東松島市の男性は、「同級生が2人亡くなっている。生き残った俺なりに頑張っていると伝えたい」と語った。
また、大切な人のお墓に手を合わせる人の姿もあった。
石巻市の称法寺では、「一緒に住んでいた祖父が自宅に戻って津波に流された」「自宅と父は流された。なんで一緒に逃げなかったのか」と悔やむ声が聞かれた。
夫を亡くし、娘1人が行方不明になっている女性は「自分なりに14年間、頑張ってきたかなと思う」と語り、夫と娘に他の子どもの成長を報告した。
そして午後2時46分。
南浜復興祈念公園の「がんばろう!石巻」看板の前では、黙とうが行われた後、バルーンリリースが行われた。
追悼の思いと、犠牲者の分まで未来を生きていく自分たちを表しているという。
夕方になると、看板の周りには石巻で亡くなった人の数と同じ、4000個の追悼のキャンドルが灯された。
祖母を亡くした女性は「子どもたちにも何があったのか伝えたい」という思いで毎年訪れているという。
当時6か月だった子どもがまだ見つかっていないという男性は「あのまま止まっている感じで14年が経っている」と話した。
東日本大震災では、震源から最も近く、津波により市内の73k㎡が浸水した。
宮城県によると、石巻市の死者は3,464人(震災関連死を含む)、行方不明者は414人。
住家被害は全壊が20,044棟、半壊が13,049棟に上った。
石巻市は、浸水の規模が被災市町村の中で最も大きく、死者・行方不明者の数も被災市町村の中で最も多いことから、東日本大震災の最大の被災地となっている。
東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分に発生。マグニチュード9.0を観測し、最大震度7。
宮城県内の沿岸北部は、湾奥部など20メートル超の津波により、水産業を中心に壊滅的な被害を受けた。
沿岸南部は、津波浸水が仙台平野奥まで至り、農地が広域に冠水した。
復興庁によると、宮城県の主な被害は以下の通り
死者:10,571人
行方不明者:1,215人
重傷:502人
軽傷:3,615人
住家等被害:全壊(83,005棟)、半壊(155,131棟)、一部損壊(224,202棟)、床下浸水(7,796棟)、非住家被害(26,796棟)