高さ10メートル超えの巨大ねぶた!? 青森ねぶた 明治初期の写真か
高さ10メートル以上と思われる青森ねぶたの古い写真が見つかりました。
年代は特定できていませんが明治初期の最も古い青森ねぶたの写真の可能性があります。
★青森まちかど歴史の庵『奏海』の会 今村修 庵主
「ねぶたの歴史の中でこういうのがあったよ 目で見る形で残れるというのは大したものだと思います」
写真には桃太郎を題材にしたと思われる大きなねぶたが映し出されています。
その大きさは人の背丈の数倍あり10メートルを超える高さです。
この写真は市民団体「青森まちかど歴史の庵『奏海』の会」が、去年、亡くなった青森市の写真家「サトウユウジ」さんの遺品を遺族から寄贈され、整理を続けている中で見つけました。
★青森まちかど歴史の庵『奏海』の会 今村修 庵主
「こっちの写真はねぶたの真ん中に今もそうですけど警察の許可をもらってですね 道路を運行するという形になっているんです 左端の方に電柱ですか 電話線の柱が建っているというなどがあってこれはその制度ができてからの運行ということなんですけど こっちはですね 何も表示がないというのと巨大であるということと周りに電柱が見えない」
青森市の沿革史によると明治6年から15年までは当時の知事がねぶた禁止令を出しているためねぶたの運行はありませんでした。
ねぶた禁止令が解けた明治16年はすでに電信事業のための電線が引かれていたためねぶたには高さ制限がありました。
そのため大きなねぶたの写るこの写真は明治6年以前に撮られた可能性があるといいます。
『奏海』の会では今後も調査を続けていくとしています。
年代は特定できていませんが明治初期の最も古い青森ねぶたの写真の可能性があります。
★青森まちかど歴史の庵『奏海』の会 今村修 庵主
「ねぶたの歴史の中でこういうのがあったよ 目で見る形で残れるというのは大したものだと思います」
写真には桃太郎を題材にしたと思われる大きなねぶたが映し出されています。
その大きさは人の背丈の数倍あり10メートルを超える高さです。
この写真は市民団体「青森まちかど歴史の庵『奏海』の会」が、去年、亡くなった青森市の写真家「サトウユウジ」さんの遺品を遺族から寄贈され、整理を続けている中で見つけました。
★青森まちかど歴史の庵『奏海』の会 今村修 庵主
「こっちの写真はねぶたの真ん中に今もそうですけど警察の許可をもらってですね 道路を運行するという形になっているんです 左端の方に電柱ですか 電話線の柱が建っているというなどがあってこれはその制度ができてからの運行ということなんですけど こっちはですね 何も表示がないというのと巨大であるということと周りに電柱が見えない」
青森市の沿革史によると明治6年から15年までは当時の知事がねぶた禁止令を出しているためねぶたの運行はありませんでした。
ねぶた禁止令が解けた明治16年はすでに電信事業のための電線が引かれていたためねぶたには高さ制限がありました。
そのため大きなねぶたの写るこの写真は明治6年以前に撮られた可能性があるといいます。
『奏海』の会では今後も調査を続けていくとしています。
最終更新日:2025年1月29日 19:10