【弘前駅130年】初代駅長の証言と貴重な当時の映像で歩みを振り返る 地域とともに「100年後も」
弘前駅はいまから130年前の12月1日に奥羽線の開通と共に開業しました。
地域と共に発展を続けてきた、その歴史を振り返ります。
1894年、明治27年に奥羽線青森・弘前間は開通しました。
当時青森より弘前の方が人口は多く青森は市制施行前の青森町の時代です。
地域と地域を結ぶ鉄道の開通に人々は沸きました。
弘前駅は鉄道の開通と同じ日に開業しました。
駅の場所は現在と変わりませんが、当時の住所は昭和11年に弘前市と統合するまで和徳村でした。
開通当時の職員用の時刻表です。
片道1時間30分1日3往復で人を運び、もう2往復は貨物を運んでいました。
国鉄の最後、そしてJR初代の弘前駅長を務めた三浦忠三さんです。
蒸気機関車の時代から鉄道マンとして働いてきました。
★元弘前駅長 三浦忠三さん
「SLなんて一番嫌われたんですよ だって煙もくもくと出すんで」
「向こう側、城東といわれるところだれも土地を買わなかった なぜかというと機関車の煙で洗濯物を干せないですから、東口(側の土地)は値段が安かった」
それでも、鉄道は地域の人たちにとってなくてはならない存在になっていきました。
朝の通勤、通学時間ともなれば近隣地域からたくさんの人を運び多くの学生たちも弘前駅に降り立ちました。
弘前駅にはいろいろな物資も集まりました。
★元弘前駅長 三浦忠三さん
「この駅の青森寄りの方に貨物ヤードが別にあったんですよ」
「新聞、雑誌それから毎週やる映画のフィルム」
「到着も発送もやるわけですよ」
「弘前の名産のりんごは貨車でみんな送ったんです 弘前駅のホームはりんご箱でいっぱいになる、そういう風景っていうのは今では想像できないと思いますよ」
1971年鉄道の歴史を築いてきた蒸気機関車が、交通の近代化に伴い姿を消すことになりました。
奥羽本線は電化開業となり、蒸気機関車から電車へ。
より早く人やものを運べる時代へと移り変わっていきました。
街は駅と共に発展してきたと言っても過言ではありません。
地域の開発が進められ、仕事や観光など様々な目的で多くの人たちが駅を行き交います。
1981年弘前駅の3代目となる新しい駅舎が開業。
ますますの発展を願い地域の人たちみんなでその門出を祝いました。
★元弘前駅長 三浦忠三さん
「(駅が)地域に密着をする、このことは130年前も今も、今日も変わらないんじゃないかと私は思う。これは将来も変わらないと思いますよ」
現在の駅舎は4代目で2004年に完成したものです。
★JR弘前駅 田口義則駅長
「お互いの地域と地域がつながる、そういった鉄道っていうのは役割も果たしているのかなという風に思います」
「今後10年、20年また100年とですね、この後に続けていけるように、しっかり頑張っていかなければいけないかなと思っています」
地域と地域をつないできた弘前駅。これからも街の拠点として人々と共に歩み続けます。