19歳北海道の元体操選手・加藤妃桜さんの挑戦 跳馬で落下し全身麻痺 自由を奪われても歩む!
幼いころから器械体操で活躍していた女性がいます。
ケガをきっかけに体の自由が奪われ、一時は生きることさえつらかったと語る彼女はいま、少しずつ前へ歩み始めています。
その思いとはー
電動車いすで店に入ってきたのは、加藤妃桜さん19歳です。
妃桜さんは全身麻痺で、首から下を動かすことができません。
車いすを動かすときは顎で操作します。
前に進むときも後ろに下がるときも繊細な顎の力が必要で、慣れるまで時間がかかりました。
楽しみのひとつにしていた昼ごはん。
妃桜さんが選んだのはみそラーメンです。
食事をするときには家族や看護師の手伝いが必要になります。
(加藤妃桜さん)「めっちゃおいしい。久しぶりに食べられた」
横隔膜が動かないため、人工呼吸器は手放せません。
体の自由が利かなくなったのは、3年前のある出来事からでした。
6歳から始めた器械体操。
「強くなりたい」と高校は福井県にある強豪校に進学し、全国大会出場を目指して練習を重ねていました。
しかし、高校1年生のとき練習中に跳馬から落下。
首を骨折し、頚椎を損傷したことで全身麻痺になりました。
(加藤妃桜さん)「全然信じられなかったし、信じたくなかったし。最初は手だけでも動くと思っていたから、動かないと聞いた時はどん底に落ちた感じ。死にたくなった」
妃桜さんは、けがをしてから美唄市にある病院で過ごしています。
時には意思に反して脚のけいれんが起きてしまうことも。
いまの医療の技術では治すことはできませんが、体が固まらないようにリハビリを続ける日々です。
妃桜さんを支えているのは母の由加さんと兄の滝大さん。
週に何度も病院に足を運び、食事や入浴を手伝います。
(母・由加さん)「どんなかんじ?」
(加藤妃桜さん)「すっぱい」
体を自由に動かしていた娘が突然、車いす生活に…
お母さんも最初は受け入れられませんでした。
(母・由加さん)「下半身まひですか?って聞いたら「四肢まひです」って言われて、ええ!って言い返しましたね。すごい衝撃だった。なんでうちの子がって何回も思いましたね」
呼吸器をつけたことで声が変わり、リンパが詰まり浮腫んだ自分の顔。
妃桜さんは16歳という若さで「障害者」になった現実から、次第に心を閉ざしていきました。
その妃桜さんの心を開くきっかけとなったのは、兄の滝大さんでした。
(兄・滝大さん)「けがする前はパソコン使ったことなかったよね」
(加藤妃桜さん)「授業でちょっとくらいだけ。全然わからなかった」
滝大さんのサポートによって、妃桜さんは目でパソコンを動かせるようになりました。
綴られていたのは「パフェ食べる」「散歩する」。
小さな願いでも、妃桜さんにとっては大きな夢でした。
(兄・滝大さん)「体を動かすこと以外は機能があったので、体験することはできないけど、食べることもできるし音楽聞くことも動画を見ることもできるし。何もできないっていう考えにはならないかなって」
「できないのは体を動かすことだけ」
兄の励ましの言葉で、妃桜さんは前を向き始めました。
病院から出て来た妃桜さん。
3年間の入院生活を終え、待ち焦がれていた退院です。
(加藤妃桜さん)「最後って思えなかった。3年もいたから」
妃桜さんには退院したら挑戦したいことがありました。
それは、一人暮らしをすること。
自分で生きる力をつけたいと考えていました。
バリアフリーの部屋を選び、慎重に車いすを動かします。
(加藤妃桜さん)「思い通り。青い壁紙にしたいって言ったらやってくれた。めっちゃいい感じ」
少しでも笑顔で暮らしてほしいと、お母さんが妃桜さんの好みに合わせて部屋を用意しました。
初めての一人暮らし。
期待で胸が膨らみます。
(加藤妃桜さん)「お菓子とか作りたい」
24時間体制でヘルパーの力を借りなければいけませんが、家族のもとを離れて暮らすことは妃桜さんにとって大きな一歩です。
家族もその姿を応援していました。
(兄・滝大さん)「いつも病院にいて遠かったけど、今は家族が近くにいるから励みになればいいなと思って」
(母・由加さん)「高校3年間病院で過ごしてきたので人との触れ合いがなくて。少しずつ自分の意見を言える大人に近づいてほしいなと」
この日、妃桜さんは散歩に出かけました。
かつて死ぬことも考えた。
でもいまは支えてくれる人がいる。
その思いを胸に歩み始めています。
(加藤妃桜さん)「この体でもいろんなことができるって知ったから、みんなと同じようにはいかないけど、やりたいこといっぱい。人前に出ても恥ずかしがらずに話したりできるようになりたい」