【特集・難聴の医師】笑顔で挑戦! 特別な場所・岩手での経験を糧に
今川竜二さん38歳。全国でも数少ない「難聴の医師」です。3年間岩手で地域医療を学んだ今川さんは、2024年春、岩手を離れ大阪に拠点を移しましたが、その後も岩手との交流が続いています。聞こえる人と聞こえない人の架け橋になろうと奮闘する今川さんの日々を見つめます。
<2024年8月・盛岡さんさ踊り>
岩手の夏を彩った「盛岡さんさ踊り」。
この日、パレードに参加したのは大阪在住の今川竜二さん38歳。聴覚に障がいがあります。
今川竜二さん
「耳は踊る時は全く(音が)入ってこないので。振動で(音を感じて)あとは目で見てリズムを合わせてやっています」
今川さんの人生は挑戦の連続でした。
<聴診器で診察>
職業は「医師」。耳が聞こえないため、聴診器は音ではなく波形を見ながら使います。
<2023年8月・盛岡・川久保病院>
2024年春まで3年、岩手で研修していました。
患者「おはようございます」
今川さん「胃カメラお疲れ様でした。苦しくなかったですか?」
患者「苦しかったです」
今川さん「お疲れ様です。きょうはマイクを襟元につけますね」
診察では、音を文字にする音声認識アプリや筆談が不可欠。難聴の医師は全国でわずか十数人と言われます。
トレードマークは笑顔。相手が安心して話せるよう心がけています。
患者「もう事前にお話は聞いてましたので。会話の方も問題なく通じますし。説明も丁寧ですしね。安心してお任せできます」
今川さん「これからもよろしくお願いします」
<筋トレ>
趣味は筋トレ。学生時代、デフラグビーの日本代表になったこともあります。
<写真など>
岡山県で生まれ育った今川さん。漫画・ブラックジャックに憧れ、医者を目指しました。
かつては法律で聴覚障害者が医師になることは禁じられていました。
しかし、2001年、今川さんが高校生の頃、医師法が改正され、道が開かれました。
晴れて医師となった今川さんは、東京や名古屋などの病院に勤務。3年前、地域医療を学びたいと岩手にやってきました。
<去年9月・岩手町・さわやかクリニック>
患者の生活などにも配慮した治療を目指す今川さん。
そのために大事なのは「会話」ですが、診療所の研修ではうまくいかないこともありました。
今川さん「今度おこしいただいた時に、おしっこもう1度とってみましょう」
患者「おしっこは毎月とってるからね」
今川さん「もう1度おっしゃってください」
患者「おしっこは毎月とってるから」
今川さん「少々お待ちください。電波が悪いみたいで。こちらを調べます。もしもし。はい。もう1度お願いします」
患者「おしっこは毎月とっています」
今川さん「あ、あ、毎月とっていますか。あ、本当ですか。そうだったんですね」
時には弱気になることも…。
今川さん「臨床の現場で上手く相手の心を引き出す。それが上手くできているかどうかが、自信がない。言葉の選び方とか、言葉のかけ方、タイミングとか。かなり…難しいと思うんですよね…」
浮田所長「そうか」
<手話サークルとの交流>
いろいろな人との交流が支えになりました。
リラックスして話せる手話サークルのメンバー。
手話でのおしゃべりは、静かだけど賑やかです。
<さわやかクリニック>
診療所の仲間とともに、自分らしく笑顔で、日々、診察にあたってきました。
スタッフ「どの位のペースでトレーニング?」
今川さん「週に5回」
スタッフ「週に5回ですか!」
今川さん「パンプアップといって筋肉がパンパンに膨れ上がって、それがすごく快感なんです。(皆:はははは)やめられない。それを誰に話しても理解してもらえない。(皆:ははははは)苦笑いしてますけど」
<診察>
今川さん「どんなお酒が好きですか?」
患者「焼酎ですね」
今川さん「どれくらい飲みます?」
患者「2、3合ぐらいですか」
今川さんの存在を心待ちにしていた人もいました。聴覚障害がある患者です。
今川さんの強みが生かされました。
<診察後>
今川さん「一度だけお会いしたことありました」
浮田所長「あ、本当。そうなんだ。それでか。ありがとうござます。すごい喜んでたな。やっぱ」
<写真>
2024年3月、今川さんは3年間の岩手での研修を終え、大阪に拠点を移しました。
岩手での経験を糧に、目指していることがあります。
今川さん
「うち(大阪)の病院の中に『みんなに優しい病院づくりプロジェクト』というのを、新たに立ち上げたんです。その一員として、私も参加させてもらっていて。冬くらいに『ろう者向けの健康診断』を企画しています」
<さんさ踊り>
医師として成長できた岩手での3年間。
2024年8月、休みを利用して盛岡を訪れ、仲間の病院スタッフと一緒に「さんさ踊り」に参加しました。
子供も大人も、聞こえる人も聞こえない人も一緒に踊る「さんさ踊り」。
ここ岩手は、今川さんにとって特別な場所です。
今川さん「来るたびにエネルギーいっぱいいただいてます」
また一つ、岩手での思い出が増えました。
<ことし7月・川久保病院>
今川さんはいまも、盛岡の病院からの要望で、月に1度、大阪から岩手に通い診察をしています。
今川さん
「大阪の地で仕事をする時に、その支えになったというのは、やっぱり岩手県で過ごしたあの日々だったり。仲間がいるということは、すごく心の支えにはなっていました」
聞こえる、聞こえないという垣根のない社会を目指して。大阪と岩手を行き来しながら、今川さんは日々笑顔で挑戦を続けます。
<2024年8月・盛岡さんさ踊り>
岩手の夏を彩った「盛岡さんさ踊り」。
この日、パレードに参加したのは大阪在住の今川竜二さん38歳。聴覚に障がいがあります。
今川竜二さん
「耳は踊る時は全く(音が)入ってこないので。振動で(音を感じて)あとは目で見てリズムを合わせてやっています」
今川さんの人生は挑戦の連続でした。
<聴診器で診察>
職業は「医師」。耳が聞こえないため、聴診器は音ではなく波形を見ながら使います。
<2023年8月・盛岡・川久保病院>
2024年春まで3年、岩手で研修していました。
患者「おはようございます」
今川さん「胃カメラお疲れ様でした。苦しくなかったですか?」
患者「苦しかったです」
今川さん「お疲れ様です。きょうはマイクを襟元につけますね」
診察では、音を文字にする音声認識アプリや筆談が不可欠。難聴の医師は全国でわずか十数人と言われます。
トレードマークは笑顔。相手が安心して話せるよう心がけています。
患者「もう事前にお話は聞いてましたので。会話の方も問題なく通じますし。説明も丁寧ですしね。安心してお任せできます」
今川さん「これからもよろしくお願いします」
<筋トレ>
趣味は筋トレ。学生時代、デフラグビーの日本代表になったこともあります。
<写真など>
岡山県で生まれ育った今川さん。漫画・ブラックジャックに憧れ、医者を目指しました。
かつては法律で聴覚障害者が医師になることは禁じられていました。
しかし、2001年、今川さんが高校生の頃、医師法が改正され、道が開かれました。
晴れて医師となった今川さんは、東京や名古屋などの病院に勤務。3年前、地域医療を学びたいと岩手にやってきました。
<去年9月・岩手町・さわやかクリニック>
患者の生活などにも配慮した治療を目指す今川さん。
そのために大事なのは「会話」ですが、診療所の研修ではうまくいかないこともありました。
今川さん「今度おこしいただいた時に、おしっこもう1度とってみましょう」
患者「おしっこは毎月とってるからね」
今川さん「もう1度おっしゃってください」
患者「おしっこは毎月とってるから」
今川さん「少々お待ちください。電波が悪いみたいで。こちらを調べます。もしもし。はい。もう1度お願いします」
患者「おしっこは毎月とっています」
今川さん「あ、あ、毎月とっていますか。あ、本当ですか。そうだったんですね」
時には弱気になることも…。
今川さん「臨床の現場で上手く相手の心を引き出す。それが上手くできているかどうかが、自信がない。言葉の選び方とか、言葉のかけ方、タイミングとか。かなり…難しいと思うんですよね…」
浮田所長「そうか」
<手話サークルとの交流>
いろいろな人との交流が支えになりました。
リラックスして話せる手話サークルのメンバー。
手話でのおしゃべりは、静かだけど賑やかです。
<さわやかクリニック>
診療所の仲間とともに、自分らしく笑顔で、日々、診察にあたってきました。
スタッフ「どの位のペースでトレーニング?」
今川さん「週に5回」
スタッフ「週に5回ですか!」
今川さん「パンプアップといって筋肉がパンパンに膨れ上がって、それがすごく快感なんです。(皆:はははは)やめられない。それを誰に話しても理解してもらえない。(皆:ははははは)苦笑いしてますけど」
<診察>
今川さん「どんなお酒が好きですか?」
患者「焼酎ですね」
今川さん「どれくらい飲みます?」
患者「2、3合ぐらいですか」
今川さんの存在を心待ちにしていた人もいました。聴覚障害がある患者です。
今川さんの強みが生かされました。
<診察後>
今川さん「一度だけお会いしたことありました」
浮田所長「あ、本当。そうなんだ。それでか。ありがとうござます。すごい喜んでたな。やっぱ」
<写真>
2024年3月、今川さんは3年間の岩手での研修を終え、大阪に拠点を移しました。
岩手での経験を糧に、目指していることがあります。
今川さん
「うち(大阪)の病院の中に『みんなに優しい病院づくりプロジェクト』というのを、新たに立ち上げたんです。その一員として、私も参加させてもらっていて。冬くらいに『ろう者向けの健康診断』を企画しています」
<さんさ踊り>
医師として成長できた岩手での3年間。
2024年8月、休みを利用して盛岡を訪れ、仲間の病院スタッフと一緒に「さんさ踊り」に参加しました。
子供も大人も、聞こえる人も聞こえない人も一緒に踊る「さんさ踊り」。
ここ岩手は、今川さんにとって特別な場所です。
今川さん「来るたびにエネルギーいっぱいいただいてます」
また一つ、岩手での思い出が増えました。
<ことし7月・川久保病院>
今川さんはいまも、盛岡の病院からの要望で、月に1度、大阪から岩手に通い診察をしています。
今川さん
「大阪の地で仕事をする時に、その支えになったというのは、やっぱり岩手県で過ごしたあの日々だったり。仲間がいるということは、すごく心の支えにはなっていました」
聞こえる、聞こえないという垣根のない社会を目指して。大阪と岩手を行き来しながら、今川さんは日々笑顔で挑戦を続けます。