41歳の新たな挑戦 “百戦錬磨のスポーツアナ”が挑む初めての箱根駅伝 中野謙吾アナ「不安しかなかった」
“百戦錬磨のスポーツアナ”が感じた駅伝実況の「壁」
現在アナウンス部内最多の9競技の実況を担当し、五輪やサッカーW杯・ラグビーW杯も経験するなど、日本テレビを代表するスポーツ実況アナウンサーの1人でもある中野アナ。しかし、2021年に担当した駅伝実況では「壁」を感じたと言います。
「入社18年目で全日本大学女子駅伝のセンター実況をした時に、自分のキャリアの中でも久しぶりに難しかったなという気持ちになったんですね。ある程度場数も踏んで視聴者に届けることができてきた中で、久しぶりに壁みたいなものを駅伝という競技に感じました」
その一方で、こう話します。
「僕の考えるアナウンサーって、職人業なんですよ。自分で(実力を)研ぎ続けていかなければ、強くはなれない。そういう意味で言うと、自分が失敗するかもしれないとか、やったことがないことに挑戦することがスポーツ実況アナウンサーとして、自分に残されている伸びしろだと思ったんです」
箱根駅伝の初実況へ 決まった当初は「不安しかない」
そして今回、箱根駅伝の実況に挑戦するため自ら手を上げます。しかし、実際に担当することが決定した時の気持ちについては、こう明かしました。
「不安しかなかったですよ。高校サッカーにいれば、全国の監督さんたちと電話1本で話もできる。すごくやりやすい環境なんです。でも、箱根駅伝となると監督も1人も知らない。今走っている選手も1人も知らないという状況から始めるので、もちろん不安しかなかったです」
当時の心境を率直に打ち明けた中野アナ。抱える不安を打ち破るべく、自らの足を使います。
「ゼロからのスタートだから、よりたくさんの監督に話を聞かないと実況する資格がないと思っています。だから今回は自分の寝る時間を削ってでも、できる限りの学校に行こうと決めました。國學院大學をはじめ8チームに、実際に話を聞きに行って取材をさせてもらいましたね。それくらいやらないと自分も納得できないし、周りも納得しないだろうと思っていたので今回は時間の許す限り取材をしました」
どのスポーツにおいても「1人でも多く話を聞いて自分が聞いた話を伝えたい」という気持ちを持っているという中野アナ。自ら現地に足を運び取材を続けることで、箱根駅伝に対する“思い”も変わってきたと言います。
「取材したらした分だけ、箱根駅伝を実況してみたいと思うようになりました。やはり監督の思い・歴史・選手たちの熱とかは、本を読むことや過去の映像を見るだけでは自分自身には落とし込めないんですよね。大学4年間っておよそ1,300日で、学生たちは20キロを走るために、その1300日を使っているんですよ。出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝を1年生から全部走っている選手もいれば、箱根も走れずに卒業する選手もいる。でも1,300日を箱根で走るためだけに努力し続けている選手たちの思いは実際聞かないと分からないと今回すごく感じましたね。そこは高校サッカーでも同じで、高校サッカーのときの取材の経験はものすごく生きました」
その時、実況で何を伝えるか。ベテランでも悩む難しさ
取材のほか、箱根駅伝に関連する本を大量に読むなどして準備を重ねてきたという中野アナ。今回は、主に後続の選手たちの動きを伝える3号車に乗って実況に臨みます。
「3号車だから、例えばシード権争いとかもちろんあるんですよ。でも各大学が狙っている目標があって『優勝』なのか、『トップ3』なのか、『シード権』なのか、『たすきを繋ぐこと』なのかという、それぞれの思いがある。その思いを、一番近くにいる我々アナウンサーがディレクターと一緒に判断しながら『今これを伝えるべきだ』というところを情景描写したいですね」
その一方で、「動き」と「情報」の取捨選択に難しさもあると言います。
「マラソンや駅伝って、動いているんですよ。目の前で動いている選手の動きもそうだし、前の選手とのタイム差、この1kmのペースとかもそう。目に見えない動いている部分がいっぱいあって、同時に大量の選手の情報や、その土地の情報もある。実際目に見える動きと、見えない動きのどの情報を取捨選択していくかが、多分難しいんだろうと思います。でもそれはドラマだから絶対に伝えなくてはいけない部分で、その取捨選択を間違わないようにしないといけないとすごく思っています」
入社19年目にして、初めての箱根駅伝実況に挑む中野アナ。大切にしたいことは-。
「選手の箱根駅伝にかける思いです。なぜこの人こんな所で、まだ動けるのか。もう倒れてるよ、なぜ立ち上がろうとするのっていう場面ありますよね。多分それは思いなんですよ。その思いの部分を絶対に伝えたいです」