川淵三郎氏「まさにJリーグの恩人」読売・渡辺恒雄主筆を追悼 かつては大論争を展開
日本サッカー協会・川淵三郎相談役(写真:日刊スポーツ/アフロ)
読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆の訃報を受けて19日、日本サッカー協会相談役の川淵三郎氏が「突然の訃報に言葉もありません」と追悼のコメントを寄せました。
「ちょうど7年前、自伝を出す際に渡辺さんと対談する機会に恵まれました。高円宮殿下のご葬儀の際にお会いして以来で、久しぶりにお目にかかれて本当にうれしかった。既に90歳をこえておられるにもかかわらず矍鑠(かくしゃく)とされ、話される内容も鋭く、得難い時間を過ごさせていただきました。頭脳では到底かなわないものの、そのお姿を見て渡辺さんのように年を重ねていきたいと思いました。その渡辺さんが亡くなり、目標を失った思いです」と悼みました。
続けて「Jリーグ開幕当時、クラブの呼称問題などで侃々諤々(かんかんがくがく)の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡辺さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天(ふぐたいてん)の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡辺さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。在りし日のお姿を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表します」とコメントしました。
「ちょうど7年前、自伝を出す際に渡辺さんと対談する機会に恵まれました。高円宮殿下のご葬儀の際にお会いして以来で、久しぶりにお目にかかれて本当にうれしかった。既に90歳をこえておられるにもかかわらず矍鑠(かくしゃく)とされ、話される内容も鋭く、得難い時間を過ごさせていただきました。頭脳では到底かなわないものの、そのお姿を見て渡辺さんのように年を重ねていきたいと思いました。その渡辺さんが亡くなり、目標を失った思いです」と悼みました。
続けて「Jリーグ開幕当時、クラブの呼称問題などで侃々諤々(かんかんがくがく)の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡辺さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天(ふぐたいてん)の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡辺さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。在りし日のお姿を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表します」とコメントしました。
最終更新日:2024年12月20日 5:50