【高校サッカー愛媛全力応援】キャプテンを全国へ… 「松山北」を応援したい5つのこと
松山城のお膝元に学校を構えるのが、12月28日に開幕する第103回全国高校サッカー選手権大会に愛媛代表として出場する松山北です。
12月29日の1回戦ではUvanceとどろきスタジアム by Fujitsuで山形代表・東海大山形と対戦する愛媛代表・松山北の応援したい5つのポイントを紹介します。
1. 校長先生は有名人?文武両道の松山北高
松山北高校は、愛媛県の県庁所在地、松山市に位置し、創立から120年を超える歴史のある伝統校です。
地元では北高(きたこう)の名で親しまれ、グラウンドからは松山城が見える環境でサッカー部は日々トレーニングをしています。
また、司馬遼太郎の著書「坂の上の雲」に登場する日本騎兵の父・秋山好古が4代校長を務めたことでも有名で校内には像が建てられています。
文武両道を掲げる県立学校としても知られており、3年生の多くは進学のため夏の総体で引退。松山北は2年生が主体の若いチームになります。
2.選手権と母校愛が紡いだ県大会制覇!
松山北は、これまで全国大会に5回出場し、第87回大会と第88回大会では愛媛大会連覇を達成したこともある名門校です。
しかし、近年は地区大会ベスト4止まり…。全国大会から遠ざかっていました。
流れが変わったのは3年前。松山北のOBでもある兵頭龍哉監督が「母校を再び全国に送り届けたい」と定年退職後松山北に戻って指揮。さらに、「選手権に出たい!勉強との両立がしたい!」と松山北に進学するJクラブ下部組織育ちの生徒が増加。その結果チーム力が向上し、再び全国を狙える基礎が出来上がりました。
3. ノーシードからの快進撃!しかし…
ノーシードからの挑戦となった松山北は、前回大会の愛媛代表・今治東や愛媛県大会優勝経験のある松山商など、強豪校を次々と撃破しました。
激闘となった準々決勝の帝京第五戦は、延長戦でも決着つかずPK戦へ。GK市中磨生選手(2年)がPKストップを連発。「勝利の守護神」としてチームを支えました。
しかし、準決勝の今治東戦で悲劇が襲います。攻守の要としてチームを率いていたキャプテンのDF末光瑛翔選手(2年)が全治6か月の大ケガ。病院を出た末光選手が最初に電話をかけたのが、中学から同じチームでプレーするMF松永悠吾選手(2年)。
電話を受けた松永選手は、「涙ながらに状況を伝えてくれた瑛翔に、かける言葉が見つからなかった」と語ります。自らも悔し涙を流したという松永選手は「絶対いいチームにする、おれにまかせろ。瑛翔を笑って卒業させるけんな」とメッセージを送りました。
4. 瑛翔のために… Cマークがつないだ想い…
迎えた愛媛大会決勝。パスサッカーで勝ち上がってきた、新田高校との全国をかけた一戦。松山北のゲームキャプテンは、松永選手。ケガで出られないチームのキャプテン末光選手自ら「全国に連れて行ってくれ」と想いを込めながらキャプテンマークを巻きました。
ゲームが動いたのは後半32分。松山北、自陣深くからのFK。前線へ大きくけり出したボールは相手DFへ。そのセカンドボールを回収した松永選手が味方へパス。そのまま前線へと走り出します。DFの裏へ走り抜ける松永選手の足元へ味方からボールがわたり、右足を振り抜きました。
飛び出したGKの頭上を越す松永選手のループシュートで松山北が先制。真っ先にベンチの末光選手のところへ駆け寄り、抱き合いました。しかし、ゲーム終了間際に追いつかれPK戦に突入します。
キャプテンマークはGK市中選手の左腕に。末光選手が巻きなおしました。
すると、相手の1本目。ゴール左を狙ったボールをGK市中選手がファインセーブ!末光選手の気持ちがこもった、キャプテンマークを付けた選手たちが活躍し松山北が勝利。
愛媛県大会では1999年以来25年ぶりとなる決勝PK戦を制し松山北が8大会ぶり6回目の選手権全国大会出場を決めました。
5. 憧れの全国大会! キーマンは唯一の3年生
決勝で松山北の先制点をアシストしたのは、唯一残った3年生、MF森隼人選手(3年)です。
「松山北は全国大会に出るべきチーム」と語る森選手。中学年代はJクラブ下部組織で活躍し、ユース昇格の声もかかる選手でした。しかし「小さいころからの夢だった選手権に出たい」と松山北を選択。その夢を叶えた今、次の目標は全国での勝利です。初出場で挑んだ41回大会(昭和37年度)には抽選で2回戦進出を決めたものの、それを除けばいまだ全国未勝利。
松山北の初戦は12月29日に行われる山形代表・東海大山形との1回戦。全国での勝利を目指して全力でピッチを駆け抜けます。
(取材・文 高校サッカー選手権民放43社/南海放送)