中澤×神戸菊池 逆境からのサッカー人生
元サッカー日本代表中澤佑二さんが同じセンターバックのヴィッセル神戸・菊池流帆選手(24)にインタビューを行いました。菊池選手は、中学2年生の時に東日本大震災を経験した岩手県釜石市出身初のJリーガーです。
菊池「こんにちは!よろしくお願いします」
中澤「多分初めましてですよね?」
菊池「初めましてです」
中澤「いつからサッカーを始めましたか?」
菊池「小学2年生です。その時はフォワードとかボランチをやっていました」
中澤「当時はどのようなプレースタイルだったんでしょうか?」
菊池「ドリブルで全員抜いてゴールを決めるという感じでした。小さい頃からずっと夢はサッカー選手で、大人になればサッカー選手になるのが当たり前、そんな感覚で能天気に過ごしていました」
中澤「震災の時はどんな状況でしたか?」
菊池「グラウンドも仮設住宅になって、サッカーを続ける術がありませんでした。電気もお湯も出ない状態で2か月くらいはサッカーができなかったと思います。震災から1か月くらいたってカズさん(三浦知良選手)が釜石にきてサッカー教室を開いてくれました。そこで初めてサッカーができる状況でした。自分もいつかこう(プロに)なりたいっていう気持ちが強くなりました。感謝しかないですね」
絶対にプロになると心に決めた菊池選手は、強豪・青森山田高校への進学します。しかし、全国からサッカーエリートが集まる青森山田高校、菊池選手は特待生のセレクションは不合格となり一般生として入部しました。
菊池「ABCDの4チームあって、1番下のDチームでした。当時僕は本当に体力がなかったです。朝練の1500メートル走があって、目標タイムは4分50秒~5分、1回でもクリアしないとずっと走らないとダメでした。最初の頃、僕は6分50秒とかで走ってました」
中澤「本当ですか?6分50秒って普通の生徒ですよ」
菊池「本当そうです。なので毎朝頑張って走っていました。朝4時に起きて10キロ走って、5時にグラウンドに行っていました。全体の朝練が6時からなのでそれまで1時間頑張って、ヘディングなどの練習をしていました」
中澤「どれくらいでタイムを切れるようになりました?」
菊池「入部して3か月くらいですね」
中澤「トップチームに昇格したきっかけは何だったんですか?」
菊池「東北新人大会というのがあって、最初僕はメンバーに入っていませんでした。でもたまたま1人ケガして、スタメンに選ばれました。試合日が雪で、僕は雪の上でやるサッカーがすごく得意だったんですよ。雪上になったら僕強くなるので、そこで活躍して点も取っちゃって、そこからノッてきました」
中澤「そこからずっとトップチームに?」
菊池「そうです」
レギュラーをつかんだ菊池選手は、高校3年生の全国高校サッカー選手権で優秀選手に選ばれるまでに成長、その後、大阪体育大学を経て2019年ついに夢だったプロサッカー選手となります。1年目はJ2・レノファ山口FCでプレー、その翌シーズンにはJ1・ヴィッセル神戸に移籍を果たします。守備では持ち味の全力プレーで相手の攻撃を跳ね返し、今シーズンは攻撃でも11節を終え3ゴールと絶好調です。
中澤「チャンスをつかむことと、チャンスをつかめないで逃してしまうことの違いというのは、どこに差があると思いますか?」
菊池「一番は運だと思います。あとはどこかで壁にぶち当たった時に諦めるか諦めないか」
中澤「壁にぶち当たると辞めちゃう選手も多くって。多分、菊池選手が運が良いというのは、その努力をしている人なんですよ。そのチャンスをつかめるだけの努力をしているので、チャンスをつかむことができたと僕は思います」
菊池「ありがとうございます」
中澤「サッカー人生で一番感謝したい人はどなたになりますか?」
菊池「あげられないですね、本当に」
中澤「分かります。それ分かります」
菊池「分かりますか。本当に今まで関わってくれた人、全てですよ」