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女子野球の歴史を変えた島野愛友利の思い

2021年10月10日 15:07
女子野球の歴史を変えた島野愛友利の思い

今年8月23日、全国高等学校女子硬式野球選手権大会の決勝戦が行われ、神戸弘陵が高知中央に4-0で勝利し、5年ぶり2度目の優勝を果たしました。これは、史上初めて女子高校野球が甲子園で開催された試合でした。

歴史的一戦は、この試合の胴上げ投手となった島野愛友利(あゆり)選手が受けた「ある取材」がきっかけで実現していました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

島野愛友利選手は2人の兄の影響を受け、小学校2年生で野球を始めました。

5学年上の長男・凌多さんは大阪桐蔭で、1学年上の二男・圭太さんは履正社で、それぞれ甲子園出場を果たした実力者。

その2人の兄の背中を追うようにして愛友利選手も実力を伸ばし、中学時代は名門・大淀ボーイズで男子に混ざってプレー。チーム唯一の女子選手ながらエースの座を勝ち取り、中学野球ナンバーワンを決めるジャイアンツカップでは、東京ドームで胴上げ投手になりました。

共に戦ったチームメイトや2人の兄が甲子園を目指す一方、当時の女子高校野球には甲子園のような晴れ舞台はなく、女子が男子に混ざってプレーすることも許されていませんでした。

当時の取材では「男女で目指す部分は一緒であって欲しかった。女子野球が知られてない分しょうがないのかなって思います」と、甲子園に対する複雑な心境を語っていました。

そんな中、島野選手が受けた取材が1つの新聞記事となり、女子野球の歴史を変えるきっかけになりました。

島野選手を取材し、その記事を書いたのが、朝日新聞の山口史朗記者でした。

「2019年の春、当時神戸弘陵高校1年生の島野投手を取材させてもらって、彼女の甲子園でやりたいという思いを記事に書かせて頂きました。島野選手の甲子園でやりたいという思いを聞いた時に、こういう女子の選手が全国にたくさんいるんだろうと思いまして、この子たちにも満員のお客さんの前でプレーする機会があれば、野球界の発展にも必ずつながると思いましたので、そういう思いで記事を書きました」と、山口記者は当時のことを語ります。

「島野さんは『女子にも甲子園のような大会が欲しい』と願う」

「はやく女子の甲子園を」

山口記者が男子高校野球の休養日に女子高校野球決勝の開催を提言した記事は、当時の日本高校野球連盟の竹中雅彦事務局長の目に触れ、女子高校野球の歴史を変えた一戦につながりました。

島野選手は当時のことを「女子野球のために大人の方がたくさん動いてくださったという事実がうれしいです。ありがとうございますという自分の感謝の気持ちを伝えたいです」と振り返っています。

そして憧れの甲子園でのプレーを果たし、胴上げ投手にも輝いた島野選手は試合後のヒーローインタビューで「チーム全員で日本一を目標にやってきたので、夢がかなった瞬間でした。本当にこのチームに入ってこのメンバーと出会えてよかったなと思いました」と優勝の喜びやチームメイトへの感謝を語るとともに、「この甲子園という舞台を与えて下さった方々に感謝の気持ちでいっぱいです」と関係者への感謝の気持ちを口にしました。

島野選手は自身の今後について「野球は高校を卒業してからすぐは続けるとは思うけど、野球をずっと続けていくかは分からない」と、今後プレーヤーとしていつまで野球と関わっていくかは分からないと考えています。

それでも「女子野球の発展を考えた時に、選手である自分たちが道を作っていくことが必要だと思っている。野球をやっていることで道も出来てくると思っていて、そこに協力出来たらいいなと思っているので、野球には携わっていきたい」と、女子野球の発展を今後の人生の1つの軸とすることを話してくれました。

将来については「高校野球では自分が甲子園という舞台を与えてもらったので、大人になったら自分も何か夢や目標などを与えられるようになりたい」と、憧れの甲子園に立てた感謝の気持ちを胸に、今後の人生を歩んでいくようです。

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