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駆け出しカメラマンがカメラマンを取材 北京五輪「撮影」の舞台裏~言葉ではないコミュニケーション…コロナ禍編~

2022年2月24日 17:44
駆け出しカメラマンがカメラマンを取材 北京五輪「撮影」の舞台裏~言葉ではないコミュニケーション…コロナ禍編~
写真:アフロ

異例な環境で行われた北京五輪。そこには選手たちの気迫溢れる姿があり、世界中のカメラマンが多くの歴史的瞬間を捉えた。私は一人の駆け出しのカメラマンとして、現場で出会ったカメラマンに話を聞いた。今回は「コロナ禍編」。バブルならではの苦労と葛藤があった一方、この環境だからこそ見えてきたものも。

■たった一人の北京入り

メディアセンターで出会ったのは、ある米メディアのカメラマン。大きなカメラやマイクなどの撮影機材をたった一人で抱えていた。

「本当はプロデューサーや記者たち合わせて約10人のチームで来るはずだったのだが、コロナの影響で僕ひとりになってしまったんだ」

困ったようにそう答えた。

取材現場はカメラマンと音声の2人体制で動くことが多い。撮影業務をカメラマンひとりで担うというのは大きな負担だったであろう。それに加えて彼の周りには取材内容について相談できる記者すらいない。たった一人でどのように日々の取材を行っているのだろうか。

「時差があるので毎日深夜にアメリカにいる記者たちとオンラインミーティングをしているよ。そこで、僕が現場で起こっていることを皆に伝え、次の日に何を撮るか話し合うんだ」

現場で何を撮ってどのような記事に仕上げるか、たった一人で考えなければいけない。スポーツや報道の撮影現場では計画通りに進まないことが多々ある。そんなとき私は同僚と相談しながら臨機応変に対応する。しかし周囲に相談する相手もいない彼は一人で判断を下し、マルチタスクを確実にこなさなければならないのだ。

別の日、彼は同じ場所に座ってひとり黙々と作業をしていた。その孤独な姿に、心からエールを送りたくなった。

■言葉ではないコミュニケーション

五輪開幕後、私はフィギュアスケートの会場に毎日足を運んだ。そこで出会ったあるスポーツ紙のカメラマンから聞いた言葉が印象的だった。

「選手と直接会話がしづらくなりました。でも、言葉ではないコミュニケーションが、より心に響くことがある、ということに気付けたんです」

長年フィギュアスケートの取材をしてきたというカメラマン。コロナ禍での撮影について、過去のオリンピックと比較し話してくれた。

「今までのオリンピックでは選手と写真を撮ったり、話をしたりできたけれど、今回は距離が遠くて挨拶すらできないんです」

コロナの影響で選手とメディアは一定の距離をとるよう決められている。

「言葉をかけられないから、違う方法でコミュニケーションをとるしかないんですよね」

カメラマンの印象に残ったのは羽生結弦選手の練習を取材したときのことだった。

「普通はジャッジに向けて演技をするのですが、このときはジャッジ席と反対側にいた僕らの方を正面に滑ってくれたんです。こういうコミュニケーションの表現方法があるのだな、と感動しました」

私も、練習会場での取材中、報道陣に一人一人会釈して回る羽生選手の対応に驚いた。さらに、満面の笑みで彼を見つめるボランティアたちに大きく手を振り返す姿が強く印象に残った。

選手村に到着した選手を撮影した際には、メディアが一丸となって選手に“あるアピール”をした。

「距離が遠くて声が届かない状況で、選手たちがメディアに気づかないだろうな、と思いました。そこで、みんなでスマホのライトを照らして選手に向けて振りました。後日、スピードスケートの小平奈緒選手に『わかりやすかった、ありがとう』と言われて嬉しかったです」

たとえ声をかけられなくとも、“伝えよう”とする気持ちが、相手に伝わった瞬間だった。

「言葉を使わないコミュニケーションは難しいけれど、伝わったときには言葉よりも深く心に刻みこまれると僕は思うんです」

限られた取材人数や行動範囲の制限、選手たちとの距離の遠さなど、撮影の難しさにばかり目がいってしまっていた今回のオリンピック。しかし、今大会だからこそ撮れた瞬間、表情があった。それは、カメラマンが、選手が工夫を凝らし、コロナ禍の葛藤から新たなコミュニケーションを生み出したからだ。

いつか私も、その環境だからこそ、そして自分だからこそ撮れた映像で人々を魅了したい、そう感じさせられた17日間だった。

(日本テレビ報道局映像取材部・川野真由子)