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若貴の「最強ライバル」……“ハワイの巨人”曙さん死去 平成の大相撲ブームでヒール役?…素顔は「優しい人」【#みんなのギモン】

2024年4月12日 11:43
若貴の「最強ライバル」……“ハワイの巨人”曙さん死去 平成の大相撲ブームでヒール役?…素顔は「優しい人」【#みんなのギモン】
ハワイ出身で史上初の外国出身横綱・曙太郎さんが 54 歳で亡くなりました。平成初頭の大相撲ブームの中、当時の若花田と貴花田兄弟に立ちはだかった“ハワイの巨人”。若貴ファンには、憎らしいほど強い存在でした。素顔や引退後の活動を友人に聞きました。

そこで今回の#みんなのギモンでは、「若貴のライバル 元横綱・曙 死去」をテーマに、次の2つのポイントを中心に解説します。
●ハワイの巨人 若貴に立ちはだかる
●素顔は…友人語る 「優しい人」

■平成の土俵を沸かせた名横綱の印象は?

小野高弘・日本テレビ解説委員
「平成の相撲界を沸かせた第 64 代横綱の曙太郎さんが亡くなっていたことが分かりました。54歳でした」

桐谷美玲キャスター
「子どもの頃の横綱と言えば曙さんという印象です」

忽滑谷こころアナウンサー
「ハワイ出身の方で、すごく身体が大きいというイメージがありますね」

鈴江奈々アナウンサー
「名シーンがいっぱいある名横綱というイメージがあります」

森圭介アナウンサー
「ハワイ出身の力士の中でも足がスラーッと長くて、とにかく強くてちょっと怖いイメージを持っていました」

「私は昔、プロレスの実況を担当していたことがあって、取材したことがあるんですよ。試合の前にお話を聞きに行くと、怖い雰囲気はお持ちなんですけど、記者の質問に丁寧に答えてくださるという印象はありますね」

■先輩力士を超え…外国出身で初の横綱に

小野解説委員
「皆さん、いろんな印象をお持ちだと思います。改めて、曙さんの相撲人生を振り返ります。ハワイ出身で史上初の外国出身横綱に上り詰めた名横綱です」

桐谷キャスター
「今でこそ外国出身の横綱はたくさんいますけど、当時は曙さんが初だったということなんですね」

小野解説委員
「ハワイ出身力士の草分けです。初の外国人力士と言えば、往年の相撲ファンなら高見山さんが思い浮かびますが、最高位は関脇です。同じくハワイ出身の巨漢力士・小錦さんは大関。その先輩たちを超えて、外国出身で初めて横綱まで上り詰めました」

森アナウンサー
「高見山さんがスカウトしたのがきっかけなんですよね」

■同期のライバル…「花の六三組」

小野解説委員
「そうでしたよね。そして何と言っても、若貴の最強のライバルとして知られています」

「平成の初頭、若貴フィーバーで大相撲は空前のブームになっていましたが、当時の若花田(若乃花)と貴花田(貴乃花)に立ちはだかる存在となったのが、身長203センチ、体重233キロ、ハワイの巨人・曙関でした」

小野解説委員
「その壮絶なライバル関係を物語る数字があります。曙と貴乃花の生涯対戦成績は、21勝21敗なんです」

忽滑谷アナウンサー
「勝ち負けがぴったり同じ数ですし、本当に互角だったんですね」

小野解説委員
「この3人は『花の六三組』と言われていたんです。昭和63年、1988年の春場所に初土俵を踏んだ同期のライバルです。この3人の他に元大関の魁皇もいます。もう本当に、大変な時代ですよ」

森アナウンサー
「私は小中学生だったんですけど、学校から急いで帰って取組を見ていたという記憶があります」

鈴江アナウンサー
「子どもたちも夢中になっていたんですね」

森アナウンサー
「それぐらい、本当に盛り上がっていたんですよね」

■スピード出世…初土俵から4年で大関

小野解説委員
「曙さんは、若貴ファンにとっては憎らしいほど強い存在として知られています。1988年のデビューから4年余りでみるみる番付を駆け上がり、大関に昇進」

「1993年の初場所では千秋楽で、当時の貴花田を圧倒して2場所連続優勝。若よりも貴よりも早く、横綱に昇進。最初に綱を締めたのが曙でした。その年の名古屋場所では、日本中が注目した、曙の強さを象徴するような戦いがありました」

■1993年名古屋場所“伝説の巴戦”

小野解説委員
「横綱が曙、大関が貴ノ花(当時)、関脇が若ノ花(同)。宿命のライバルの三者が一歩も譲らず、2敗で並んだまま、優勝決定巴戦になります」

「巴戦とは3人で行う決定戦で、もし曙が若貴に1つでも負ければ、当時まだ実現していなかった夢の若貴対決、兄弟対決になるということで、相撲ファンのみならず日本中が注目しました」

森アナウンサー
「大人も子どもも、みんな見てた!」

小野解説委員
「その最初の一番は、曙が若ノ花を圧倒します。そして迎えたのが、曙対貴ノ花の一番でした」

森アナウンサー
「今でも手に汗握っちゃう…」

鈴江アナウンサー
「力強い、息を吞むような取組でした。あの当時は若貴ブーム。アイドルのような人気だった若貴を応援している人は、みんな一気にため息でしたね」

小野解説委員
「この伝説の巴戦、瞬間最高視聴率は 66.7%を記録しています。曙の幕内最高優勝は通算11回。この時代を生きた人たちにとって曙関は、若貴を苦しめるヒール役というか憎まれ役というか…。どこか怖いという印象をお持ちだった方も多いかもしれません」

■子ども支援のボランティアに参加

小野解説委員
「ここからは、曙さんの素顔について見ていきます。力士時代の先輩で、曙さんと長いお付き合いがあった関係者に、大切なお写真をお借りしました。いい笑顔で写っていますよね」

桐谷キャスター
「取組中の厳しい顔とは全然違う、穏やかな、優しい笑顔ですね」

小野解説委員
「引退後はプロレスや総合格闘技にも挑戦した曙さん。写真を提供してくださった先輩によると、施設で暮らす子どもたちを支援するイベントに、ボランティアで自ら支援物資を購入して参加していたそうで、『あんないい日本人はおらん』と語っていました」

■大ジョッキ一晩に60杯の伝説も

小野解説委員
「また、曙さんの力士時代の後輩で、プロレスでは『SMOP』というタッグを組んでいたパートナーでもある浜亮太さんにも話を聞くことができました。曙さんには伝説があり、とにかく大酒飲み。大ジョッキで一晩に 60 杯飲むような人だったそうです」

鈴江アナウンサー
「お 1 人でですか?」

忽滑谷アナウンサー
「人ってそんなに飲めるものなんですね! 豪快ですね」

森アナウンサー
「お店にあるビール全部飲んじゃったぐらいですね」

小野解説委員
「あくまで浜さんが語る伝説ということなんですけどね…」

■病院で寝たきりに…曙さんとの思い出

小野解説委員
「浜さんによると、曙さんは7年前に心不全で倒れ、それからは都内の病院でほぼ寝たきりの生活を余儀なくされていました」

「会話を交わすことはできたといい、新型コロナウイルスで直接の面会が難しくなった後にも、テレビ電話を使って浜さんとの会話を楽しんでいたといいます。改めて、浜さんに曙さんの思い出を聞きました」

浜さん
「思い出はいっぱいありすぎるけれど、周りを明るくして和ませてくれる人。それと、いじめられたり困ったりしている人を放っておくことができない人なんです。あんなに優しい人はいなかった。あと1回会いたかったです」

森アナウンサー
「取材の時には厳しいイメージでしたけれども、格闘技やプロレスの雑誌でインタビューを見ると、笑顔が素敵な写真がたくさん並んでたんですよね。その通りのお人柄だったんだなと、今になって知りました」

■元若乃花の花田さんがメッセージ

小野解説委員
「訃報を受け、ライバルだった元若乃花の花田虎上(まさる)さんからメッセージが公表されました」

「ライバルであり友であり 苦楽を共にした仲間が旅立ちました」「切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く」「歳を取ったらハワイの木の下で同期生皆んなで会おうと曙と話していた」「ハワイの木の下でまた会おうね 会いに行くね」

小野解説委員
「曙さんは、自身の引退会見でも若貴との関係に触れていました。『貴乃花も若乃花もいなかったら、僕も多分ここまで早く横綱に上がれなかったと思う』と、感謝の思いを述べていました。土俵で力の限りを尽くした者同士の心のつながりがあったんでしょうね」

森アナウンサー
「土俵上では若貴のライバルとして、強い敵で立ちはだかって相撲界を盛り上げました。プロレスや総合格闘技では、ボブサップ選手と戦うなど、ファンが一度は見てみたいような試合を次々と実現させてくれたんですよね」

「強いだけではなくて、稀代のエンターテイナーとしてさまざまな試合を見せてくれたなと、改めて感謝したいですね」

小野解説委員
「平成の土俵を沸かせた名横綱の早すぎる訃報は大変ショックですが、数々の名勝負は永遠にファンの心に刻まれています」

(2024年4月11日午後4時半ごろ放送 news every.「#みんなのギモン」より)

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