「一番いい金メダルを目標に」 3歳から右腕が不自由になりながらも… 米子市出身の高橋峻也選手がパリパラリンピックやり投げ競技の日本代表に内定 夢のメダリストへ意気込み語る 鳥取県米子市
8月に開幕するパリパラリンピック。陸上のやり投げ競技に鳥取県米子市出身・高橋峻也選手の日本代表入りが内定しました。
米子市出身の高橋峻也選手(26)。3歳のときに脊髄炎を患い、右腕が不自由になりましたが、小学2年生の頃から野球に打ち込んできました。境高校に進学し、3年生の頃、ベンチ入りし、甲子園に出場。その後、日本福祉大学で陸上部の監督からスカウトされやり投げに転向。2019年の世界パラ陸上で6位に入賞しました。2021年にはトヨタ自動車に入社。2022年のジャパンパラ陸上競技大会では、61メートル24センチで日本記録を樹立、いまだに破られていません。
パリパリンピックに向けた意気込みを聞きました。
記者
「内定おめでとうございます」
高橋峻也選手
「内定発表がずっと気がかりで、そわそわしてたこの1週間くらいでした。(内定をもらったときは)第一は、ほっとしたという気持ちが一番で、ようやく肩の荷がいちど降りたなって感じではあったんですけど、それと同時にパリパラリンピックに向けてがんばっていかないといけないなって気持ちがまた芽生えてきました」
Q.高橋選手にとっての強みは?
高橋峻也選手
「自分の強みはやっぱり海外選手と比べて体格が恵まれてない分、助走スピードのリズムの速さというものを重点的に練習して自分の強みにしてきました。メダルを獲得することと、日本記録を更新することを目標にそれを達成して両親にメダルをもって帰りたいなという風に思います。もちろん一番いい金メダルを目標にやってます」
パリパラリンピックで夢のメダリストへ。山陰から世界へ活躍する高橋選手に期待です。