【独自取材】初めて“カド番”に追い込まれた藤井八冠、最終局面・叡王戦を永瀬拓矢九段が分析
対局場の報道控え室。終局を待っていた私は、中京テレビで速報を打つ担当者へ電話越しに叫んだ。
あの“絶対王者”が敗れるとは思っていない。
しかし、勝負の行方を追っていた対局の中継画面では、絶対王者・藤井八冠が“カド番”に追い込まれていた。
「初めて、先にカド番に追い込まれ、八冠・タイトル独占状態が崩れるかもしれない!」
カド番とは、将棋界では「あと一敗すれば負けが決まる局面」を指す。“藤井八冠がタイトル王手”と打っていた見出しが、変わった瞬間だった。
2024年6月20日、注目の叡王戦第5局が行われる。
王者の防衛か、挑戦者の奪取か。
最終局面・叡王戦について永瀬拓矢九段へ取材した。
誰もがそんなことはわかっていたはずだが、こんなにも早く”八冠陥落か”と書くとは、予想していなかった。そんなことを考えながら、対局室へ向かうと、そこには、わかりやすく肩を落とし、がっくりとうなだれる藤井八冠の姿があった。
「ちょっと厳しい状況になってしまったんですけど、開き直って頑張りたいと思います」と対局後にファンの前で答えた藤井八冠。その言葉通り、第4局では勝利を奪取し、2勝2敗のタイとし、フルセットに持ち込んだ。
藤井八冠がタイトル戦をフルセットで戦うのは、2021年・第6期の叡王戦以来。豊島将之叡王(当時)に藤井聡太二冠(当時)が挑戦し、第5局に勝利した藤井二冠が、叡王のタイトルを奪取、三冠となった。
今回は、防衛か、奪取か。世間から大きな関心が寄せられている。
一方の伊藤七段は、叡王戦が始まるまで、藤井八冠との公式戦の成績は10連敗。3度目のタイトル挑戦だが、前評判では、厳しいとみられていた。しかし、そこから2連勝してタイトルに王手をかけた。
藤井八冠と伊藤七段。私は、この二人と将棋の研究を行う唯一の棋士に”変化”について話を聞いた。
永瀬拓矢九段が語る、藤井八冠と伊藤七段
話を聞いたのは、永瀬拓矢九段。永瀬九段といえば、藤井聡太さんの八冠・タイトル独占を阻止しようと迎え撃った「王座戦」が記憶に新しい。
藤井八冠と永瀬九段は、2017年、藤井八冠がプロになったばかりの頃から、VS(一対一で行う将棋の研究)を行う仲。インターネット番組の企画で対戦したことをきっかけに、永瀬九段が藤井八冠にメールを送りVSに誘ったというのは有名な話だが、伊藤七段ともプロになる前の三段の頃からVSや研究会(4人など複数人で行う将棋の研究)を行う仲だという。
永瀬拓矢九段は、藤井八冠と伊藤七段の二人にとっては“研究パートナー”なのだ。
なぜ、自分よりも年齢の若い棋士に教えを請うのか。永瀬拓矢九段は、「既存の考え方じゃなくて、やっぱり今後そういう将棋をつくっていく、新しい考え方を知りたいというか」と答えた。続けて、「今後そういうもの(新しい将棋)をつくるのは、今トップで活躍している人ではなくて、今後活躍するであろう人たちであると思っているので、有意義なことなのかなと思います」と理由を明かした。
王座戦の結果について尋ねると、「個人的には棋力(将棋の力)はあまり変わらないと思ったので、結果としてそうなった(負けた)のは残念だなと思いましたね」と話し、「ただ藤井さんの終盤力というのが、本当にずば抜けているわけなので、そこをどうにかしないといけないと思いましたね」と対局を振り返った。
圧倒的な終盤力で、これまで何度も窮地を乗り越えてきた藤井八冠。しかし、永瀬九段曰く、「今回の叡王戦では、その終盤力が影を潜めてしまっている」という。
100点じゃない指し手
今期の叡王戦、なぜ2勝2敗のタイ、フルセットとなったのか。その理由について、永瀬九段は、「藤井さんは、100点をずっと指し続けるような将棋なんですね。なので相手は関係なくて、自分で“100点を指し続けること”で勝つ将棋なんですけど、今回それが100点じゃなくて、それが70点だったり、75点だったり、その最も良い手を指せていないのが、(藤井八冠が)負けている要因なのかなと思っています」と語る。
「今までの100%の手を指し続ける藤井さんであれば、それを指されたのではないかなと思ったが、ただそれを逃してしまった。逃すと将棋は相手にチャンスがわたってしまうので、それを伊藤さんがつかみとったという状況だと思う」と分析した。
藤井八冠自身も、今年5月27日に行われた名人防衛会見で、「この2ヶ月くらいは、ちょっとミスが少なからず出てしまっている」「あまり要因というのははっきりとはわからないけど、少し読みの精度が下がってしまっているところがあって、それがミスにつながったというところが、いくつかあったかなという風に思っています」と話している。
一体なぜ、藤井八冠の圧倒的な終盤力は影を潜めてしまっているのか。永瀬九段は、藤井八冠の“現状”を軸に分析する。
「藤井さんは常に変化を求めているところがあるというか、常に現状に満足することなく、今まで変化して成長してきたと思う。それがたまたま、今の時期にいろんなことが交差してしまって、配線が絡まっている感じ。そんな現況を、処理しきれていないのかなと思う。修正するのか、進化するのか、成長させるのか…」
叡王戦最終局は、藤井八冠がさらに進化することが鍵となりそうだ。
スペシャリストの藤井VSゼネラリストの伊藤
二人のことをよく知る永瀬九段に、藤井八冠と伊藤七段の将棋のタイプについて語ってもらった。
永瀬九段曰く、「藤井さんが将棋でいうとスペシャリスト型で、伊藤さんがゼネラリスト型・幅広く知識を持ったタイプ」だという。
“スペシャリスト”とは、文字通り、ある特定の分野を専門的に修めた人材のこと。“ゼネラリスト”とは、豊富な知識と多角的な視点を持った人材のことを指している。
どちらもビジネス用語として使われる言葉で、スペシャリストは「狭く深く」、ゼネラリストは「広く浅く」と対極にあるように感じる両者だが、その意図とは。
「藤井さんは角換わりという戦型が得意なんですね、これが攻撃的な戦型で。伊藤さんはゼネラリストと思っているんですけど、それは幅広く知識を持っている盾みたいな感じですかね。藤井さんが最強の矛をもっていて、伊藤さんが最強の盾を持っている印象かもしれないです」と語る。
「二人のタイプは全く違う。ただスペシャリスト型って結構少なくて、藤井さんは結果的にスペシャリスト型になったと思うけど、それが攻撃的な将棋を指して今まで100%積み重ねて、攻撃的であるにも関わらず、精度も抜群という状態だったのかな。伊藤さんは100%を目指すというタイプではないかなと思っているのと、藤井さんとは全くタイプが違くて、幅広く盾を持つことで簡単には負けないぞという印象」と語った。
最強の矛と最強の盾の戦い。
どちらに軍配が上がるのか?
しかし、現状の藤井八冠の“矛”について、永瀬九段は…
「本来藤井さんの矛というのは最強で、どんな盾をも貫いてきたわけなんですけど、それがなかなか最強ではないという状態ですね」と話した。
防衛か?奪取か?勝つのはどっち?
永瀬九段曰く、叡王戦最終局は「藤井さんがどの程度修正されているかが注目」だという。
その理由について、「明らかに今までの藤井さんとは違うので、それをケアするカタチにするのか、そのまま戦ってしまうのか、違う強みを見いだすのかは注目ですね」と話す。
「伊藤さん自身も不思議に思っているんじゃないですか。そんなに上手く指したわけじゃなくて2勝したというのは。なので、伊藤さんとしては自分が上手くやったわけじゃなくて、2勝目をあげたのは戸惑いがあったのかなと思います。今までの藤井さんならそこでは全力疾走して、勝ちきってきたわけなので。伊藤さんとしても戸惑いがあるなかで、どういう将棋をされるのか。藤井さんがどのように修正されるのか、6月20日楽しみにしたい」と最終局への思いを語った。
藤井八冠のタイトル独占の期間は続くのか。
羽生善治九段の七冠独占期間は167日。
全冠保持の最長記録は、大山康晴十五世名人の、1959年6月12日~1963年3月20日まで1377日である。
果たしてこの記録を目指し防衛を果たすのか?
はたまた、八冠の牙城を崩し、初タイトル獲得を果たすのか?
注目の叡王戦五番勝負の第5局は、6月20日(木)に行われる。