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私塾「神全塾」を開き文武両道で多彩な活動 徳島藩家老の稲田家の家臣・武田家に関する資料調査報告会【徳島】

2024年9月17日 17:36
私塾「神全塾」を開き文武両道で多彩な活動 徳島藩家老の稲田家の家臣・武田家に関する資料調査報告会【徳島】
江戸時代に、徳島家老の稲田家の家臣だった武田家に関する資料調査報告会が、9月16日、徳島県美馬市脇町で開かれました。

武田家は江戸時代末期に私塾「神全塾」を開き、明治時代はじめまで、文武両道にわたって多彩な活動を続けました。

信州大学 和田哲也名誉教授
「武田家・神全塾の大きな特徴は、なんといっても塾の先生が武芸と学問の両方を教えていたということにあります」

報告会は、武田家や武田家が開いた私塾「神全塾」に関する資料を紹介し、地元の歴史について知ってもらおうと、歴史家や武道家などでつくる資料調査会が初めて開きました。

3000点を超える古文書や刀剣、掛け軸などが残されていて、この日、美馬市の交流センターで開かれた報告会では、資料の調査を行った大学教授や学芸員らが古文書や書状などについて解説を行いました。

(徳島県立文書館 金原祐樹館長)
「これはかなり字が小さいですが、新居水竹の日記、漢文の日記です」

徳島県立文書館の金原祐樹館長は、「庚午事変」の首謀者として切腹した儒学者の新居水竹の日記を紹介し、水竹が稲田家の家臣と交流を深めていたことなどを説明しました。

また、徳島城博物館の根津寿夫館長は、赤穂浪士の討ち入りの前日に書かれた大石内蔵助の書状の写しについて、原本との違いや印象について語りました。

徳島城博物館 根津寿夫館長
「これは私の中では大変な驚き。下の方が大石内蔵助の書状の写しで、『神全塾』に残るものです。門外不出とされたんですけど、実は『神全塾』の武田さんが、おそらく二代の応呼龍先生が写していることがわかります。一言でいうと『すごく丁寧に書いてるな』と。一字一句間違えないように書いていて、しかもレプリカを作るというわけではないんですけど、すごく丁寧に書いてるという印象がある。(塾主の)二代目の応呼龍先生の情熱がうかがえると思ってる」

さらに武芸の実演も行われ、武田家と関係のある「大東流合気柔術」や、「神全塾」で盛んに行われた「関口流」の居合も披露されました。

(武田家の子孫 武田大輔さん(71))
「『神全塾』という名前だけは地元の方々、近県の方々も耳にはされてると思うが、実態といいますか、それについてお伝えしたかった」

武田家や「神全塾」に関する資料は、9月28日から10月25日まで、美馬市脇町の地域交流センター「ミライズ」で展示されます。

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