最愛の20歳の娘を殺害された父親 事件から20年の今、カメラの前で語った思い 心の傷だけでなく経済的問題も
2003年に熊本市の女子大学生が殺害され、県外の山に遺棄された事件から20年がたちました。最愛の娘を殺害された遺族がいま思うこととは。
■米村州弘さん
「朝起きたら、もうすぐ生きた智紗都と、いなくなった智紗都が同じ年になるんだなと。それがすごくなんか心に響いたかな。娘が生きた分だけの月日、長いんだよね。長いんだけれども、やっぱり僕にとってはたった20年」
熊本市で暮らす米村州弘さん(68)。
娘の智紗都さんは、20年前の2003年、20歳の時に殺害され、県外の山の中に遺棄されました。自宅のリビングに飾られているたくさんの写真。いつも娘のことが頭から離れません。写真の中の智紗都さんはいつも笑顔。でも…
■米村州弘さん
「思い出すのは、棺桶の中に入った智紗都の顔で、これがどうにかならないかなと。あんなに可愛くて元気だった智紗都が、本当に変わり果てるというのは、あのことだろうと思うぐらい変わり果てていて、その顔が頭から離れない。どんなに頑張っても」
事件の直後から私たちの前で思いを吐露してきた米村さん。
■米村州弘さん
「一生忘れたくないし…忘れるわけないんだけどね」
智紗都さんを殺害したのは、パソコンのメールを通じて知り合った男でした。事件の後、米村さんは犯人との接点を作ったのは自分だと責め続けます。
■米村州弘さん
「パソコンを買ってあげなければ、娘は死ぬことはなかった。…僕が殺したんです」
遺族が抱える、悲しみと後悔。米村さんは、講演などを通して自らの思いを多くの人に語るようになりました。
今も抱える悲しみと後悔 講演通して思いを伝える
事件からちょうど20年を迎えた9月26日。米村さんは、オンラインでの講演に臨みました。相手は、智紗都さんが亡くなった歳に近い大学生です。
■米村州弘さん
「皆さんとお話しできることは、とても運命を感じています。それはなぜかというと、20年前のこの時間に娘は殺されてしまいました」
米村さんが講演で欠かさず読み上げる手紙があります。事件から15年が経った2018年に、妻が初めて智紗都さんに宛てて書いたものです。
■智紗都さんに宛てた手紙
「今もし、どこかで生きていられたら、どんな旦那様と、どんな子どもたちと出会えていたのかな。できることなら、ちいちゃんの未来のため、お母さんの命と代わってあげられていればよかったと、いつもいつも思います。それはお母さんの後悔であり、お母さんの罪なのです。ちいちゃんのことを守りきれなかった母を、どうか一生許さないでください」
■米村州弘さん
「みなさんどう思いますか?生きていることを罪と思うような人生ってどう思いますか?苦しみながら、苦しみながら今も生きています。それが遺族」
加害者が刑期を終え、出所した今も続く遺族の苦悩。その苦しみは、心の傷だけにとどまりません。
心の傷だけでなく経済的問題も
■くまもと被害者支援センター 高田裕子さん
「犯罪被害に、経済的な問題というのは必ず発生すると言ってもいいぐらい」
事件の後起こる「経済的問題」。
米村さんも智紗都さんを失った後、体調を崩した妻に寄り添うため仕事を辞めざるを得ず、収入が激減。生活は苦しくなりました。
こうした問題に対応するため、国が1981年から始めたのが、被害者に給付金を支給する制度です。
制度は年々拡充され、現在、遺族に支払われる給付額は最高で2900万円あまりに。給付額は、事件前の3か月間に被害者が得た労働収入や家族構成などを基に算定されます。このため、被害者が子どもや主婦などの場合十分な支給を受けられないケースが多いのが現状です。
■米村州弘さん
「僕も当時、国から給付金を貰ったんだけれども、当時は一番最低の120万。20歳の娘を殺されて最低の120万」
■くまもと被害者支援センター 高田裕子さん
「本当は、被害にあって大切な家族を奪われたのに、さらにこんなに経済的にきつい思いをしなくてはいけなくなるのはおかしいよねと思ってても、 もう制度がこれならしょうがないと飲み込んでおられる方がほとんどだと思う」
また、犯罪被害者の遺族は加害者側に民事訴訟で賠償を求めることもできますが、ほとんどの場合、加害者側に支払い能力はありません。
そんな中、ことし一歩前進する出来事が。
政府は今年6月、被害者や遺族に支給する給付金を大幅に引き上げる決定をしました。
これまで被害者の生前の収入などから算定されていた給付額が、今回の見直しでは、事件にあわなければ将来得られたはずの収入、「逸失利益」の算出方法を念頭に制度設計を進めています。
10月に入り、警察庁に犯罪被害者等施策推進課を新設し、1年以内に制度を整備する方針です。
事件から20年。娘を失った当時と比べ少しずつ進みつつある、被害者遺族への支援。
■米村州弘さん
「遺族の方の数は少ない。本当に本当に数が少ない人たちだけど、国が何かバックアップというか、 救ってあげてほしいと思ってます」
自分と同じように苦しむ人が少しでも減ってほしい。米村さんは、願っています。