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”異色の復興請負人” 岩手から能登へ 東日本大震災から復興の思いをつなぐ

2024年3月11日 18:47
”異色の復興請負人” 岩手から能登へ 東日本大震災から復興の思いをつなぐ

東日本大震災の経験を生かし、能登の復旧・復興を後押ししようと動いている男性がいます。
岩手県に本社を置く企業の経営者です。
その活動や思いを取材しました。

先週、石川県庁で開かれた能登半島地震の復旧・復興プラン作りに向けた有識者会議の初会合。
メンバーの一人、高橋博之さんは、有識者の中でも異色の存在です。

岩手県花巻市出身の49歳。

13年前の東日本大震災の時は岩手の県議会議員でその後は被災地などの課題解決に向けてNPO法人を創設。
さらには会社を立ち上げ、全国の生産者から旬の食材を購入できる「ポケットマルシェ」の運営など都市と地方をつなぐ事業を展開しています。

今月3日、私たちは早朝からこの日の高橋さんの活動を追いかけることにしました。


高橋博之さん:
「何に困ってるか分からないと支援できない」
「農家も田んぼがね、使えないって言うんですけど、見てみないとどうなのか分からない」

徹底した「現場主義」
1月の地震発生間もない時期からほぼ毎日、金沢を拠点に能登へと足を運び自治体のサポートや炊き出しの支援にあたっているといいます。

この日最初に向かったのは珠洲市の蛸島漁港。
長年、漁業に携わってきた人を訪ね、話を聞きました。

地元の漁師 田喜知さん:
「こういう状況ですけど頑張ってみますわ。ひどいです。涙やて」

蛸島漁港は地震により岸壁が崩れるなどして漁に出られない状況が続いています。


「見ての通りで、港も大変ですけど、少し見て皆さんにまた報告してもらえばと思います」

高橋さん:
「きょう日曜日ですけど、 やっぱりあの震災から2か月目の被災地とは思えないぐらい静かで、人も割と重機も全然いないですね」

指摘するのは圧倒的なボランティア不足。
半島という地理的な問題もありますが、復興に向けてはもっと人を呼び込むことが必要だといいます。

次に向かったのは輪島市門前町。
地元で10年以上コメを生産している農家のもとへ。
こちらも地震の深い爪あとが残っていました。

農家 竹内さん:
「至る所で液状化が出てるんです」
「植えても水が抜けたりお米にならないような田んぼばっかり」

■高橋さん :
「まずこの土砂崩れ」
「用水路なので、そこが埋まってるのでこっちに水がきてるので」
「やり直しでしょうね」

田んぼが、ため池のような状態に。
コメ作りの再開どころか、田んぼを修繕するめども立っていない状況を目の当たりにしました。

高橋さんは復興の足掛かりになればと、この日、輪島市内で勉強会を開きました。
幅広い年齢層の住民が参加しそれぞれ抱える悩みや課題を話し合います。

「残ってる若い人、って言っても私しか集まらなかったんですけど」
「若い人が戻ってきやすい環境にしたいねという話をしているんですが」
「ボランティアチームを作って災害ゴミの搬出とかがれき撤去とか倒壊家屋の一部解体とかそういったことをやり始めています」

参加者からは前向きな意見も聞かれました。
それでも高橋さんは、これから復興を進めていくためには当事者だけでは難しく、外の力を引き込むことが欠かせないといいます。

高橋さん:
「もちろんがれきの撤去だとか、炊き出しも大事なんですけど、大事なのはやっぱりこう交流なんですよ。被災された方々が同じ避難所で、同じ顔ぶれで、毎日先も見通せない中で、やっぱり気分は沈んでいくんですよね 」
「そんな時に外から来た人が ずっと応援してるから頑張ってって声をかけてくれることが、いかに立ち上がろうとする人たちにとっての力になるか 」

東日本大震災からことしで13年。
能登は13年後、どのような姿になっているでしょうか?
今の東北のような復興を遂げているのでしょうか?

道しるべとなるプランづくりが急がれます。

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