「頑張ればできないことはないと日本で知った」スリランカ人女性が国家資格 “介護福祉士”に《長崎》
県内で初めて “介護分野” の技能実習生となったスリランカ人の女性が、国家資格の「介護福祉士」に合格しました。
最初に来日してから5年半。キャリアアップし、長崎で未来を描きます。
(二マーリ・ワットサラーさん)
「失礼します」
高齢の女性にすらすらと日本語で話しかけます。
「起きましょう。じゃあ 靴下履きましょうね」
長崎市古賀町の介護施設「ショートステイ王樹」で働く、スリランカ人の二マーリ・ワットサラーさん30歳。
今年1月、日本の国家資格=「介護福祉士」の試験に挑み、先月、合格しました。
(介護福祉士 二マーリ・ワットサラーさん)
「受験番号を見ると合格だった。“あぁ よかった”ってシンハラ語で言った。うるさかったかもしれない」
ニマーリさんは、2018年秋にスリランカから来日し、この事業所へ。
当時、県内で初めての介護分野での技能実習生でした。
笑顔を絶やさず、臨んだ実習。
(日本語指導)
「食べたものを吐いてしまう。おう吐。吐くというのは息を吐く。これも吐くという」
日本語の勉強にも励みました。
(ニマーリ・ワットサラーさん)
「文法が一番難しい。長崎弁が難しい。行けんば?行かんば」
当時の夢は・・・
(ニマーリ・ワットサラーさん)
「日本の文化にある介護を、スリランカに持っていきたい。長い時間がかかると思うが、このような介護の会社をスリランカにつくりたい」
日本から約5800キロ離れたスリランカ。
(ニマーリ・ワットサラーさん)
「私(の住まいは)ゴールとヒッカドゥワの真ん中」
3年間の実習を終え、2021年に帰国。
1年あまり過ごしましたが、去年1月、最長で5年間在留できる「特定技能」に移行して日本に戻り、介護福祉士の試験に挑戦しました。
(介護福祉士 二マーリ・ワットサラーさん)
「日本語をあんなに勉強したのに、スリランカいても使うこともない。それと、介護は3年間やってなんとかわかるようになったので、もう1回来ようと思った」
(記者)
「その時は、介護福祉士の資格は取ろうと思っていたんですか?」
(介護福祉士 二マーリ・ワットサラーさん)
「思ってはいた でもこんなに早く試験を受けるつもりではなかった」
試験問題は日本人と同じ。
この1年、仕事もしながら猛勉強し、より専門的な知識を習得するため、450時間の実務者研修も修了しました。
努力を続けるニマーリさんの姿に、運営会社の代表は。
(LIFE・DESIGN 勝矢 圭一 代表)
「日本語は、ひらがなもカタカナも漢字もある。それでまったく日本人と同じ土俵で試験を受けないといけない。漢字などは相当難しいと思う。そこをほぼ独学で勉強して突破していったのには本当にびっくりした。(合格は)涙が出そうでした」
施設の利用者も・・・。
(施設利用者)
「がんばりがうれしい」
(施設利用者)
「日本人以上の心を持っている。なくてはならない人 本当に」
多くの人の支えと励ましで、試験に合格できたと話すニマーリさん。
介護福祉士となったことで、在留期間の制限がない「在留資格介護」を取得することが可能となり、母国から家族を呼び寄せることもできるそうです。
運営会社の事業所には、現在「技能実習」や「特定技能」で8人のスリランカ人がいます。
(介護福祉士 二マーリ・ワットサラーさん)
「仕事は変わってない。介護士、介護福祉士、どちらでも同じ仕事だが、前よりも介護の仕事に関してはいろんなことがわかってきている。
頑張れば “できないことはない” と日本に来てわかった」
一緒に働く仲間にかけたい言葉を聞くと・・・。
「頑張れば、できないことは世の中にはないと思っているので、それを一番伝えたい」
最初の来日から5年半、ニマーリさんが描く未来は。
(介護福祉士 二マーリ・ワットサラーさん)
「小さい頃から、夢の国が日本だった。いつか日本に行くつもりでいて、それを叶えたのが一番良かった。前に進む。介護福祉士で終わりはないから、できるだけ前に進む」
人一倍の頑張りで、キャリアアップした二マーリさん。
長崎で前進を続けます。
運営会社の代表は、次はケアマネージャーの資格をと、期待を寄せているそうです。