【被爆80年】「被爆の体験を残したいが…」高齢になった被爆者の声を後世へ “執筆補助”とは《長崎》
NIBが進める被爆80年プロジェクト「PassTheBATON」。
今回は、被爆者の記憶が収録された「体験記」についてです。
80年前の記録を後世に伝える取り組みに迫ります。
原爆の記憶がつづられた「被爆体験記」。
あの日、原子雲の下で何が起きたのか。
被爆者として、どんな人生を歩んできたのか。
(徳島から)
「実際の体験した人の話を聞く機会がなかなかないので、本当の声を聞いてみたいなと思って(来た)」
今なお、戦争や紛争が続くこの世界に、被爆地・ナガサキが発信するメッセージです。
(濵崎 ミネ子さん)
「これが母の若い時の写真なんです」
爆心地から約3キロ、長与町の高田郷で被爆した濵崎 ミネ子さん 90歳。
今年 自身の被爆の記憶を、長崎市の国立追悼平和祈念館に『体験記』として残すことを決めました。
証言を聞き取るのは、長崎市在住のライター 小川内 清孝さん 66歳です。
被爆者の平均年齢は85歳を超え、『体験記』を残したくても文章にまとめられないという人も少なくありません。
そんな中、近年注目されているのが、被爆の証言を聞き取って書き起こす「執筆補助事業」。
小川内さんは「執筆補助」に携わって10年。これまでに約150人の体験や思いを “代筆” してきました。
(小川内 清孝さん)
「8月9日の朝、飛行機が飛んできて、それから…」
(濵崎 ミネ子さん)
「すぐ、もうピカッと光った。音はしばらくしてからドン」
(小川内 清孝さん)
「しばらくしてから、ドンと…」
(濵崎 ミネ子さん)
「だから、光が早い」
(小川内 清孝さん)
「それから、爆風が…」
(濵崎 ミネ子さん)
「ドンと爆風が、一緒ぐらい」
被爆当時、11歳だった濵崎さん。
80年前の8月9日、妹4人と自宅の庭先でせん光と爆風に襲われました。
妹たちを連れて近くの竹林に逃げ込んだ後、隣の家の防空壕に避難。
大きなケガはありませんでしたが、鉄道の駅で働いていた姉は、出先の浦上駅で爆死しました。
“母ちゃん、うち きょう仕事ば休みたか”…。そうこぼして、家を出た姉の変わり果てた姿を見て、哀しみに打ちひしがれました。
(小川内 清孝さん)
「お母様はずっと、後悔なさっていたんですか」