「鉢合わせ」の先駆けは?フェリーで太鼓台見学?秘蔵映像で振り返る!世代を超える愛媛県民の祭りへの情熱
10月5日から松山の秋祭りがスタート。中予を皮切りに、県内各地でも祭りばやしが聞こえてくる季節です。そこで、南海放送に残る、懐かし映像から県内の祭りの歴史を振り返ります。驚きの光景に、受け継がれる祭りへの思い。さあ、時代を巻き戻してみましょう。
松山の秋祭り名物「鉢合わせ」 先駆けはお殿様から拝領した神輿だった!?
清家アナ:
「あちらに見えるのが、道後温泉駅前、松山の秋祭り名物、道後の鉢合わせが行われる会場です。その鉢合わせへと向かう神輿は、この伊佐爾波神社の長い石段を下って、宮出しし祭りがクライマックスを迎えます。あ、神輿が下りてきましたよ」
今から63年前の10月7日、道後・伊佐爾波神社の様子です。かき夫の中には、学生帽をかぶった中学生でしょうか、神輿を担いでいます。
同じ日、松山市・桑原地区のお祭り。神輿を先導するのは、“馬”です。畦道を、神輿を担いでわっしょいわっしょい!道は、かき夫や見物客で埋め尽くされています。
松山市の秋祭りの光景として印象深いのが、神輿と神輿をぶつける「鉢合わせ」。
こちらは、55年前の三津・厳島神社の秋祭りです。境内には溢れんばかりの人が集まり、人の波に乗るように神輿が担ぎ込まれています。
こちらは、今から50年前。1968年の四角さん・八角さんの鉢合わせ。いまから300年以上前の江戸・元禄時代から続くといわれる、鉢合わせの先駆者的存在です。松山藩のお殿様から拝領した神輿のため、全国でも珍しい「さん」づけで呼ばれるお神輿です。
変わっては道後。1976年の映像には宮出しをした神輿が道後温泉駅前に下りてくると鉢合わせ、をする様子はなく…神輿の差し上げが行われていました。
南海放送に残っている映像は15年後の1991年に鉢合わせをしている様子が映っていました。それまで、バラバラに行われていた鉢合わせを観光地、道後の玄関口で披露し、全国や海外から来た観光客にも楽しんでもらおうと、現在の場所での開催が定着しました。
「平成の大渇水」といわれ、松山市民の生活に大きな影響を与えた1994年。この年の秋祭りにも水不足の影響は出ていました。
お祭りに参加した子どもたちに配られたのは、パンに缶ジュースにスナック菓子。
Q.例年お昼は何が出てた?
子ども:
「うどんとかカレー」
Q.今年はないね…
「昼で終わり、水不足やったけん」
保護者:
「炊き出しが楽しみだから。また来年は出来ると思いますけど」
和紙の取り合い!?神輿を川に突き落とす!?島の祭りは個性であふれている
松山沖に浮かぶ興居島の秋祭りといえば、踊り伝馬と呼ばれる船上の舞台で歌舞伎の型や演目を取り入れた踊りを披露する伝統芸能、「船踊」。
この「船踊」の他にも、松山市の島しょ部では、一風変わったお祭りが行われていました。
北条沖の鹿島。橋の上に担ぎ込まれた神輿。その神輿を…!?
民俗学専門家:
「相当激しく神様を刺激して」
アナウンサー:
「ちょっと刺激のし過ぎな感じもしますが」
民俗学専門家:
「お祭りは神様にとって受難の日かもしれない、ゆすられたり落とされたりね」
アナウンサー:
「壊れたらどうする?」
民俗学専門家:
「え~、構わないんです」
松山市沖の中島。宮司が引っ張る紐の先に何やら宙を舞う白い物体。それを…我先にと、取り合う人たち。これは「おみどり」と呼ばれ、神社・鳥居などの形に切り抜いた和紙で、地区の住民が引きちぎります。
この「おみどり」、42年後の2015年に再び取材に伺うと、変わらず続いていました。
はじめて参加した子ども:
「びっくりした」
参加した住民:
「ミカンの木に付けるんです」
持ち帰った「おみどり」は、ミカンや畑に立てると虫が来ないと言い伝えられていて、家内安全で神棚に祀る人もいるということです。
南予では“牛鬼”に“鹿踊り” 東予では“豪華絢爛な神輿”がまつりの花形
南予のお祭りと言えば牛鬼ですよね。
こちらは1964年の宇和島市。集落の中を巨大な牛鬼を男たちが操り、住民らが囲んでいる姿が残っています。
南予では牛鬼や八ツ鹿踊りを中心に、様々なところで秋祭りが行われていますね。
続いては東予。
勇壮華麗な祭りで知られる新居浜太鼓祭り。2年に一度、最終日には船に乗った太鼓台や神輿が盛大にパレ―ドし、航海の安全や豊漁を祈願する船御幸が行われます。
現在は大きな台船を使って行われていますが、1960年、太鼓台は、漁船の上に。さらにその上には多くのかき夫たちの姿が見られます。
さらにその12年後、船御幸を一目見ようと大勢の人が押し寄せますが、もっと近くで見たい!とフェリーには観客であふれかえっています。
今ではみられない衝撃映像ですが、市民の祭りにかける情熱が伝わってきます。
こちらは四国中央市の三島地区のお祭り。
夜になると…
「そーりゃ、そーりゃ」
電飾がつけられ、まるで遊園地のパレードのように、きらびやかな太鼓台が町を練り歩きます。見る人も明るい気持ちになるユニークな夜太鼓です。
こちらも毎年白熱する豪華絢爛で知られる西条まつり。祭り好きが多いイメージですが、中にはこんな人も…。
(1981年当時のニュース映像から)
アナウンサー:
「ちょっとちょっとこれ!だんじりでしょ!?」
喫茶店の中には手作りのだんじりが。ご主人の祭り好きが高じて、お店の中にもだんじりを飾ってしまったそうです。
42年前に「だんじり彫刻師」としてデビューした青年は今
アナウンサー:
「50年ぶりに地元の若いだんじりの彫刻師が誕生したんです」
Q.この絵柄は何を描いている?
石水さん:
「源平合戦を描いています」
この年、だんじりの彫刻師としてデビューした石水信至さん。当時、市内にだんじりの彫刻師がいない中、18歳から独学で彫刻を学び彫刻家デビューしました。デビューして初めての作品は古い資料をもとに1年をかけて、源平合戦を題材に彫刻を仕上げました。
あれから42年。62歳になった石水さんは、現在も彫刻師として西条まつりを支えています。
これまでに西条まつりだけで32台のだんじり彫刻を手掛けてきたという石水さん、デビュー当時の映像を見ていただきました。
石水さん:
「ははは!すごい…もう忘れてました」
(Q当時を見てみて)
「試行錯誤じゃないけど探りながらしたところもあるし、その当時の苦労が見えるというか懐かしく思う」
デビューから42年、技術の向上だけでなくインターネットの普及で全国の様々なだんじりの下絵が見られるようになり、彫刻の表現方法が広がっているといいます。
石水さん:
「材がすごく素晴らしい。魚で言ったら上トロというんですかね、ものすごくいい材が手に入った。最終傑作じゃないが、今までの技量をこれに打ち込めたらなと 」
職人として、今も挑戦し続けています
江戸時代から300年続く「西条まつり」を支える父と娘が受け継ぐ先人の思い
そんな石水さんの背中を見て育った、娘の睦津美さん。現在、伝統工芸コーディネーターとして、祭りの職人たちの技や伝統工芸品の魅力を伝えています。
石水睦津美さん:
「300年続いてきたお祭りなので、なぜ続いてきたか理由があると思う。これから続く理由もあると思う。私は今生きている世代の者ですけど、先人たちの思いとか地域ならではの特色、いろんなものが合わさって本質を形成していると思うので、それをちゃんと捉えていきたい」
かき夫も見物客も、職人も。それぞれがアツい思いを胸に、秋祭りが今年も開幕しました。