【東日本大震災から13年】記憶をつなぐ・・・震災を知らない子どもたち 岩手県陸前高田市
いまの中学生は、13年前のあの日、まだ赤ちゃんでした。自分の街で起きた震災をどのように受け止め成長してきたのか。1人の女の子の13年の歩みを取材しました。
友達とのおしゃべりが大好きな、陸前高田市の中学1年生、小野寺紀乃さんです。
江口アミキャスター
「小さい時って覚えてる?」
小野寺紀乃さん
「ちょっと…部分的にしか覚えてないんですけど」
2010年の年の瀬に生まれた紀乃さん。家の近くには、白い砂浜と7万本の松がきれいな「高田松原」がありました。でも、紀乃さんはみたことがありません。
大津波が押し寄せました。紀乃さんの家も、街も、多くのいのちも失われました。
松は一本だけになりました。
津波で、おじや大切な友人を亡くしたお母さんは、元気に育つ紀乃さんに救われてきました。
母 宏美さん「ハイチーズ」 紀乃さん「ふふふ」
新しい街をつくる工事がはじまると、赤ちゃんの時から過ごした仮設住宅で、5歳の誕生日を迎えました。同じ仮設住宅に暮らす人たちが、遊んでくれて、楽しい毎日でした。
母 宏美さん
「支援のおかげで育ったっていうのもあるので、何かの形で返していければいいなっていう風に思います」
1本だけになった松の周りには、また1本ずつ松が植えられていきました。
はじめて自分の家で暮らし始めた紀乃さんは、小学1年生になりました。
4年生になった時。授業で「絵本」を読みました。
津波で大切な息子を亡くした、同じ街に住む女性が文を書いた「ハナミズキのみち」です。夢の中で「津波から逃げる目印に、ハナミズキの木を植えて」という息子さんの声が聞こえたこと。いつもみていたハナミズキの咲く道が、絵本をもとに作られたことを知りました。
紀乃さん
「おかあさんおねがい、ぼくが大好きだったハナミズキの木をたくさん、たくさん植えてね」
紀乃さんは、何度も読みました。
江口キャスター「紀乃ちゃんはこの授業どうでしたか」 紀乃さん「(涙)」
街のみんなが悲しかったことを「初めて」知りました。
小野寺麻緒さん
「震災の時は、そういうきれいな海が急に怖くなって、ば!!って怪物みたいに襲ってくるんです」
震災の後に生まれた小学生に、自分の体験を伝えている、高校生の小野寺麻緒さんです。
麻緒さん
「みなさんと同じぐらいの年の時に東日本大震災を経験しました。私は妹がいるんですけど、いま小学校6年生なんですけど、はい、みんなも知ってるかな?」
麻緒さんは、紀乃さんのお姉さんです。いつも、学校が終わると、宿題をする紀乃さんの横で、地震や津波への備え方を勉強してきました。
麻緒さん
「妹がまだその時、赤ちゃんで、で、本人も覚えてる?覚えてないし」「赤ちゃんだから覚えてないから体験していないとほぼ同じようなことだから、妹を守りたいって思うのはあります」
紀乃さん「(涙)」
麻緒さん「泣かないで」
紀乃さん「(涙)」
紀乃さんは、中学生になりました。この日は防災の授業があります。避難所での生活をゲーム形式で体験しました。
「裸足で足が痛いらしいです」
避難者役の人が次々にやってきます。避難所を運営する人は、避難してくる人に困っていることがないか聞きました。
どうしたら解決できるか考えて、必要なもののカードを配ったり、毛布のかわりに新聞紙をかけてあげたりしました。
紀乃さんは、家をなくしたお母さんの役です。
紀乃さん
「ずっと抱っこしているようだしそんなに動けないから大変だなって」「お母さんってすごいんだなって改めて感じました」
赤ちゃんの時、この体育館に避難していたことを紀乃さんは覚えていません。でも、全国の人から届いたおむつや毛布、ごはんで大きくなったことは、お母さんから聞いていました。
紀乃さん
「自分がやってもらって、それに自分がかえすみたいな、そういう気持ちが大事だと思ったんで」
この1か月後に能登半島地震が起きました。
紀乃さん
「そんなにすぐに起きると思ってなかったから少しなんか気が緩んでたっていったらあれだけど、楽に生きてたんですけど」「避難所とかの写真をみるたびにやっぱこの体験は大切なんだなって」
「よろしくおねがいします」
紀乃さんは、被災した人たちに募金を届けたいと学校の先生に言いました。みんなも同じ気持ちでした。
紀乃さん
「支援の物資とかお金もうれしかったんですけど、やろうって思ってくれている人がいるっていうのが一番うれしかった」
春が来たら、お姉ちゃんは青森の大学に進学し、紀乃さんは中学2年生になります。
「自分が起こった時に守られた側なので、今度は自分が家族とか友達とか、大切な人をあの、守る、守れるような人になりたいです」
紀乃さんも「命をまもるための」勉強を始めます。