「歓びから断ち切られた生活」 「シベリア抑留」テーマにした企画展 過酷な体験と心情表現
戦後、日本兵らがシベリアなどで強制労働に従事させられ、6万人以上が犠牲になったとされています。この「シベリア抑留」をテーマにした企画展がいま、東京で開かれていて山形市出身の元抑留者が描いた絵が展示されています。作品が伝える過酷な体験と絵に込めた思いに迫ります。
東京・千代田区。元抑留者の故・村山常雄さんの功績を振り返る展示会が開かれています。村山さんは、シベリア抑留による犠牲者4万6300人の名簿を10年がかりで1人で作り上げました。
村山常雄さん「彼らは必ずや地下にあって叫んでいるでしょう。声なき声で。“私の存在を認めてくれ”と」
終戦後、日本軍兵士ら60万人以上が旧ソ連の収容所に送られ、寒さと飢え、重労働で6万人以上が死亡したとされる「シベリア抑留」。
村山さんに関する資料とともに展示されていたのは、抑留中の悲惨な状況などを描いた絵です。その中に、山形市出身の元抑留者の作品が当時の回想とともに展示されています。
「今日もまた辛い仕事が始まる。歓びから断ち切られた生活」
山形市出身の飯野珪次郎さん。旧満州の部隊に配属され、終戦直後、32歳のときに旧ソ連の捕虜となりました。抑留された先は現在のカザフスタン。
暑さと寒さがともに厳しい過酷な砂漠気候の中で、ダム建設などの重労働を強いられた体験が克明に描かれています。
「仕事はノルマできめられた。出来高によって食事の量も決まる」
厚生労働省によりますと、カザフスタンにはおよそ3万7000人が抑留され、およそ1500人が死亡しました。あまりの飢えに、捨てられていた馬鈴薯を食べようとしてソ連兵から何度も叩かれた日本兵。異国の地で犠牲になった仲間を自分たちで埋葬する様子。22点の作品には、過酷な体験とその時の心情が映し出されています。
千葉から訪れた女性「つらいですよね。自分もいつこうなるかわからない運命を背負っているわけだから。仲間だから、やるべきことをやってあげて心を尽くして埋葬しているのではないか。いま涙ぐんでしまいましたけど」
福岡から訪れた女性「私の父は飯野さんと同じクズウォルダに抑留されていた。父は友だちが熱を出して、井戸が見えたので列車から降りていって水を汲んでいたら、銃を向けられて、ストップと言われて死ぬ目に遭ったとのこと」
飯野さんの作品を展示会に貸し出したのは、南陽市の岩井孝吉さん(79)です。岩井さんの父・泰吉さんは飯野さんと同じ収容所で抑留中の生活を共にしました。飯野さんは、泰吉さんら一緒に帰国した仲間たちと当時の思い出を語り合う中で、体験を絵にすることを決めたといいます。
そして、東京に移り住み生活する中で抑留体験も描き続けました。
岩井孝吉さん「展示されて親父も喜んでいると思う」
飯野さんら抑留者同士の交流が始まったきっかけは、泰吉さんが作った戦友名簿です。抑留から帰国する際、同じ収容所にいた日本人の名簿を靴の中に忍ばせ、監視の目を逃れて持ち帰ったことが元になっています。
岩井孝吉さん「すごい発想ですよね。靴の底に名簿って。それから30年間みんなが集まってなんだかんだ交流した。仲が良かった、帰ってきた人たちは」
展示会を企画したシベリア抑留者支援・記録センターによりますと、抑留経験者の平均年齢はことし、101歳となり、記憶の伝承が課題となっています。こうした中、カザフスタンに抑留された人の体験を描いた絵は珍しく、当時を知る貴重な資料だといいます。
シベリア抑留者支援・記録センター有光健さん「砂漠地帯なので夏は暑い。冬もシベリアほどではないが相当寒い。仕事は相当きつかったみたいで犠牲者は相当出ている。重要な資料だと思う、歴史的にも」
この展示会は、東京・千代田区の区立九段生涯学習館で5月17日まで開かれています。