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松坂「投げること怖くなった」引退会見1

2021年10月19日 14:07
松坂「投げること怖くなった」引退会見1

“平成の怪物”と呼ばれ、今季限りでの現役引退を表明しているプロ野球・西武の松坂大輔投手(41)が19日、愛着がある背番号「18」のユニホームを身にまとい引退会見。「投げることが怖くなってしまった」と、支えてくれた家族や球団、そしてファンへ感謝の言葉を語りました。

▽以下、会見の一問一答

本日はお忙しい中、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。今季をもちまして引退することをここに報告させていただきます。今日はよろしくお願いいたします。

――23年間のプロ生活お疲れ様でした。今の率直なお気持ちをお聞かせください

「選手は誰しもが長くプレーしたいと思い、こういう日がなるべく来ないことを願っていると思うんですけれど…今日という日が来てほしかったような、来てほしくなかったような…僕いま同じこと言いました?大丈夫ですか?来てほしいような、来てほしくなかったような、そんな思いがあったんですけれど…現時点ではまだすっきりしてないんですかね。この後に投げることになっていますし、投げることができてそこで自分の気持ちもすっきりするのかな?すっきりしたいなと思っています」

――来てほしいような、来てほしくないようなということですけど、来てほしいというのはどういう思い?

「今の自分の体の状態のこともありますし、やっぱり続けるのは難しいと思っていたので、できるだけ早くこうしてみなさんの前に出て来て、報告できればよかったんですけれど、7月7日に引退発表があって、当初球団とは、すぐに会見を準備してもらう予定だったのですが、僕自身が発表したものの、なかなか受け入れられなかった…発表したにもかかわらず自分の中で気持ちが揺れ動いているんですかね、その中で会見するのもなと思って、球団に『ちょっと待ってください』と言ってたいぶたっちゃったんですけれど、発表してから3か月間、やれそうだなと思った日は一度もなかったですね。なのでできるだけ早く終わらせられたらいいんだろうなと思いながら過ごしていました。

――7月7日に引退を発表されましたが、引退を決断した一番の要因は?

「昨年の春先に右腕のしびれが強く出るようになって、その中でもなんとか投げることはできたんですけれど、コロナ禍の中で緊急事態宣言になり、トレーニングも治療もままならない中で、症状が悪化してできれば手術は受けたくなかったですけれど、本当にほぼ毎日なかなか首の痛みや右手のしびれで寝られないことが続いて、精神的に参ってしまったというのもあって、手術を決断したんですけれど、これまで時間を掛けてリハビリしてきましたけれど、なかなかその症状が改善しなかった…その中でもキャンプインで、もうそろそろバッティングピッチャーやって、ファームの試合で投げられそうだねというところまで来たんですけれど、その話をした矢先にブルペンの投球練習の中で、何の前触れもなく右バッターの頭の方にボールが抜けたので、ちょっと抜けたとかそういうレベルではなくて、とんでもない抜け方をして、そういう時ピッチャーって抜けそうだなと思ったら指先の感覚で引っかけたりするんですけれど、それができないくらいの感覚の無さというんですかね、そのたった1球で僕自身がボールを投げることが怖くなってしまった、そんな経験は一度もなかったので、自分の中でのショックがすごく大きくて、松井稼頭央2軍監督にちょっと相談して、「ちょっと時間ください」ってお願いしたんですけれど、時間もらったんですけれど、右手のしびれ、マヒの症状が改善しなかったので、これはもう投げるのは無理だなと思って、辞めなければいけないと自分に言い聞かせた感じですね」

――発表は7月7日だったが、決意が固まったのはいつ頃?

「球団に報告するのは1週間前とかだったと思いますね。球団にお願いして、休ませてもらったのが5月の頭くらいだったので、2か月間ずっと考えて悩んで、その中でも治療を受けに行ったりして、なんとか投げられるようになればと思ったんですけれど、ほぼ変わらなかったので時間ももう無いなと思いました」

――その期間は誰かに相談したりしたんですか?

「もう難しいかもしれないというのは、家族にはしていました」

――家族はどんな反応されましたか?

「(沈黙)だから会見したくなかったんですよね…(沈黙)ちょうどやめると決断したときに妻に電話したんですけど、そのときちょうど息子がいて…(目を潤ませる)本当に長い間お疲れ様でしたといってもらいましたし、僕の方からもたくさん苦労をかけたけど長い間サポートしてくれてありがとうという言葉を伝えさせてもらいました」

――こみ上げてくるのは感謝か。もう少し見せたかったという思いか?

「ただ一言で感謝といってしまえば簡単なんですけど、そんな簡単なものではなかったですし、いい思いもさせてあげられたかもしれないですけど、家族は家族なりに我慢というかストレスもあったと思いますし、本当に長い間我慢してもらったなと思いますね」

――一番感謝を伝えたい人は?

「妻もそうですし、子供たちもそうですし、両親もそうですし、これまで僕の野球人生に関わっていただいた“アンチのファン”の方も含めて感謝しています」

――今後について考えていることは?

「家族との過ごす時間を増やしながら、違う角度で野球を見ていきたいと思いますし、野球以外にも興味あることはたくさんあるので、そういうことにもチャレンジしていきたいと思いますし、野球界、スポーツ界に何か恩返しできる形を作っていけたらいいなと思っています。漠然とですけど」