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松坂“松坂世代”に感謝 引退会見3

2021年10月19日 15:31
松坂“松坂世代”に感謝 引退会見3

“平成の怪物”と呼ばれ、今季限りでの現役引退を表明しているプロ野球・西武の松坂大輔投手(41)が19日、愛着がある背番号「18」のユニホームを身にまとい引退会見。同世代の松坂世代について「みんながいたから、世代の先頭を走ることができた」と感謝の言葉を語りました。

▽以下、会見の一問一答

――休養を決めたブルペンはいつの出来事?

「4月の終わりの方だったと思いますね。ゴールデンウィーク前から休ませてもらったので、4月の終わりくらいだったと思いますね」

――これが松坂大輔のボールだと、自信を持って投げられた最後のボールは?

「2008年くらいですかね。今でも忘れないというか、細かい日付は覚えていないですけど、2008年の5月か6月かチームがオークランドに遠征中で僕もその前の試合で投げて、ブルペンの日だったんですけど、ロッカーからブルペンに向かう途中に足を滑らしてしまって、そのときとっさにポールのようなものを転ばないようにつかんだんですけど、そのときに右肩を痛めてしまって。そのシーズンは大丈夫だったんですけど、そのシーズンオフからいつもの肩の状態ではないって思いだして、そこからは肩の状態を維持するのに必死でしたね。僕のフォームが大きく変わり始めたのが2009年くらいだったと思うんですけど、その頃には痛くない投げ方、痛みが出ても投げられる投げ方を探し始めた頃というんですかね。その頃には自分が追い求めるボールは投げられていなかったですね。それからはその時その時の最善策を見つけるという作業ばっかりしていました」

――松坂世代、同世代の思い?

「本当にいい仲間に恵まれた世代だったなと思いますね。みんな仲良かったですし、言葉に出さなくてもわかり合えるところもありましたし、“松坂世代”の名前がついていましたけど。自分は“松坂世代”と言われることは好きではなかったんですけど、僕の周りの同世代のみんなが嫌がらなかったおかげで、ついてきてくれたというとおこがましいですけど、そんなみんながいたから、先頭を走ることができたというんですかね。みんなの接し方が本当にありがたかったなと思いますね。それと同時に自分の名前がつく以上、その世代のトップでなければならないと思ってやってきましたけど、それがあったから、あきらめずにやってこられたと思いますし、最後の一人になった毅(ソフトバンク・和田投手)には、僕の前にやめていった選手たちが、残った僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分も毅には投げ続けていってほしいなと思います。できるだけ長くやってほしいなと思います。本当に同世代のみんなにも感謝しています」

――プロの投手としてマウンドに上がる時に意識したことは?

「この23年間あまり自分の状態がよくなくて、『投げたくないな、できれば代わりたいな代わってもらいたいな』と思う時期もあったんですけど、最後は“逃げない、立ち向かう、どんな状況も受け入れる、自分に不利な状況も跳ね返してやる”試合のマウンドに立つその瞬間には、必ずその気持ちを持って立つようにしていました。ギリギリまでイヤだなと思っていることもありましたけどね。でも立つ時にはその覚悟を持ってマウンドに立つようにしていました」

――大舞台で活躍できない子供たちへアドバイスを

「国際大会とか試合によっては厳しい状況もあったんですけど、このマウンドに立てる自分は“カッコいい”と思っていましたね。思うようにしていたと言うんですかね、他の人に任せて勝ったほうがいいということもあったかもしれないですけど、やっぱり大きな舞台。目立てる舞台に立てる自分がカッコいいと思うようにしていたからなんですかね。毎回勝てたわけではないですけど、もちろん痛い思いをしたこともありましたけど、やっぱりそういう舞台に立てるのはカッコいいことだと思うので、みんなにはそういう舞台に積極的に立ってもらいたいなと思います」

――やり残したこと、心残りは?

「ライオンズに入団した時に東尾さんに200勝のボールをいただいたので、自分自身が200勝して、お返ししたかったなって、それはやっぱり一番先に思いますかね。ちゃんと持っていますよ、200勝のボールは」

――プロ生活の後半は苦しかったと言っていたが、そこを乗り越えた自分に声をかけるならどんな声をかけたい?

「もう十分やったじゃん。長い間お疲れさまと言いますかね」

――お子さんからのねぎらいの言葉は?

「家族も僕の体の状態わかっていましたし、実際に辞めるよって言う前にも、そろそろ辞めるかもねって話した時は喜んでいたんですけどね。これから遊ぶ時間が増えるうれしいとは言っていたんですけど、実際辞めるって報告した時は、みんな泣いていたので、『やったーお疲れさま』って言われると思ったんですけど、みんなしばらく泣いて黙っていたので。僕にはわからない感情を妻や子供たちは持っていたかもしれないです。それを知って改めて感謝の気持ちと同時に申し訳なかったなって気持ちがありましたね。あまり家族のことは言いたくないですし、言わないようにはしてきたんですけど、半分以上それができなくて、本当に申し訳なかったなって思います。妻は本当に関係ないところでたたかれてしまうこともあったので、本当に大変だったと思います。気持ちの強い人ではなかったので、本当に迷惑をかけたと思います。その中でここまでサポートしてくれて本当にありがとうございましたと改めて言いたいですね」

――家族と一緒にやってみたいことは?

「最近家の庭で野菜を育てたりしているので、そういうことをみんなで楽しみながらやっていきたいなと思いますね。たいしたことではないかもしれないですけど、そういうことをさせてあげられなかったので、これからはそういう時間を増やしていけたらと思います」

――諦めの悪さの一番の原動力は?

「すべてがそういうわけではないんですけど、諦めなければ最後は報われるとそれを強く感じさせてくれたのは“夏の甲子園のPL学園の試合”ですかね。いま質問されてもパッとあの試合が出てきたので、あの試合があったからですかね。最後まで諦めなければ報われる、勝てる、喜べるとあの試合が原点なのかなと思います。諦めの悪さの原点ですね」

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