映画『バービー』 女性だけでなく男性も抱える“生きづらさ”を描いたわけ
ファッションドール・バービーを初めて実写化した映画『バービー』。公開からわずか17日で全世界興行収入10億ドルを突破、さらに全世界における興行収入ランキングも、今年公開された映画の中で2位にランクインしています。(30日時点・Box Office Mojo調べ)
監督・脚本を務めたのは、これまで『レディ・バード』や『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』などで高い評価を受けてきた、グレタ・ガーウィグ監督です。映画で描かれるジェンダー観についてや、いまの時代を生きる人へ伝えたいメッセージをインタビューしました。
――女性が単独で監督を務めた作品として、初めて興行収入10億ドルを突破したことが話題となりました。一方で“女性”とくくられることはどう思われますか?
世界中の人々に届いたことはすばらしいことです。
本作を制作する上で私がゴーサインをもらえたのは、先駆者である女性監督たちが(興行的に)成功した映画を制作したから。『ワンダーウーマン』のパティ・ジェンキンス監督などが、先駆者となってくれました。先駆者が道を切り開いてくれたからこそ、いまの自分があるのだと自覚していますし、本作の成功によって今後大作映画の制作を志す女性たちが、よりやりやすくなることを願います。いつか、ジェンダーなど関係なく“映画は映画”とされる日がくるかもしれません。
■“何にだってなれる”を発信し続ける一方、“完璧”に批判もあったバービー人形
1959年にデビューしたバービー人形の生みの親は、ルース・ハンドラーさん。息子のおもちゃに比べ娘のおもちゃは選択肢が少なく、子どもの世話をする人形などに限られていることに気付いたことが、バービー誕生のきっかけだったといいます。1965年には人類が月面に着陸するよりも前に宇宙飛行士のバービーを発表し、その後も、“女の子には無理”とされてきた野球選手や消防士など200以上の職業のバービーを制作。“女の子だって何にでもなれる”と伝えてきました。
一方、細い体に大きな目をした“完璧”な姿のバービーは、非現実的だとして批判された過去もありました。
――映画の中でも、バービーが女性の地位を向上させようする一方、女の子たちが抱くバービーへの否定的な感情も描かれています。なぜそのように描いたのでしょうか?
バービーを、複雑なアイコンとして見ることが重要だと思いました。バービーは、時には文化の先を行ったり遅れたりしています。さらに、非現実的な体形な持ち主でもあります。バービーは多面的な存在なのです。
完璧であるようなふりをするのではなく、すべてを許容する作品を作りたかったんです。実は、私はバービーが嫌いな母のもとで育ったのですが、私自身はバービーが大好きで、きれいだと思っていました。でも母は私にバービーを与えたがりませんでした。だからバービーに対する反対意見も尊重しないと、母が悲しむと思ったんです(笑)。
■浮き彫りになるジェンダー観に動揺するバービーとケン
映画で描かれるバービーランドは、大統領や検事、外交官など、ほとんどの職業で女性が活躍する“女性が主役”の世界です。そこで生きてきたバービーとケンは、人間の世界に足を踏み入れると“ジェンダー観の違い”にがく然とします。
――なぜそのような描き方をしたのでしょうか?
2人が現実世界に来て違いに気付いたらどんなにおもしろいだろうかと思いました。あらゆるものが何度もひっくり返される映画を作ることの利点は、バカバカしさの中でシリアスな物事をユーモラスに探求できることかもしれないと思ったんです。
■女性も男性もみんなが感じる“生きづらさ”
映画の終盤では、人間の世界で生きる女性のグロリア(アメリカ・フェレーラさん)が、これまで自分を縛り付けていた固定観念や、女性としての生きづらさを言語化することで、バービーたちが“本当に大切なこと”に気付いていきます。
――どのようにそれぞれが感じる“生きづらさ”を映画に織り込んでいったのでしょうか?
アメリカ・フェレーラのスピーチは非常に美しいものであり、撮影していたひとときもまた美しいものでした。なぜなら、そこには誰もが共感できる要素があったからです。3テイク目で私は泣いてしまい、周りを見ると他の人たちも泣いていました。女性だけでなく男性も泣いていて、私たちはみんな、期待と基準に応えようと綱渡りをしているのだと気付かされました。女性だけでなく、男性もです。彼女が話し始めてすぐに、みんな綱から降りて、自由に振る舞える場所に来てごらんと言われているように感じました。綱渡りを続けるのは、無理だからです。それこそが、私が本作で伝えたかったメッセージです。
バービーの概念は、ひとつの無茶な基準と見なされてきたように思います。映画を通じて、そのような基準は誰の役にも立たないかもしれないと主張する方法があるのであれば 、挑戦してみる価値はあるのではないかと思ったのです。
一方で、ライアン・ゴズリングさん演じるケンも、現実世界での“男性像”を目の当たりにすることで、ケンとしてのあり方や、“男性らしく”生きることへの葛藤などが描かれています。
――ケンが涙を流すシーンなど、男性の生きづらさも描かれていました。なぜそのように表現したのでしょうか?
本作に悪役はおらず、ケンたちもみんなと同じように模索しているだけ。ライアン・ゴスリングの演技は笑えて奇想天外でしたが、彼は演技を通じて人々を解放したんじゃないかと思うんです。セットにいた全男性の気持ちが軽くなったと思います。彼の振る舞いを目にして、“もしかしたら、僕たちにもできるかも”ってね。
■劣等感を刺激する時代…いま伝えたいメッセージ
“ありのままの自分でいい”、そして“今のままの自分で十分である”ということです。何かの外見やあり方をまねる必要はないし、ありのままの自分でいるだけで価値があるんです。現代は、人形のみならずSNSなど、劣等感を刺激し“自分が不十分だ”と感じさせるものにあふれています。私は「ありのままの自分で十分であり、価値のある人間になるために、他の何かを目指す必要などない」と観客が感じられるような映画を作りたかったんです。
日々の中で実感するのは、人生は実に多面的で喜びに満ちていると同時に、誰にとっても極めて困難なものであるということ。男性にも女性にも子どもにも、常に多くの期待がかけられ、時には本心や内面の通りに振る舞えないこともあります。そのことを思うと、みんなに“わかるよ”と伝えたい。みんな四六時中、自分に厳しすぎる。その厳しさを少しでも取り除けたらと思います。映画やキャラクターを通じて、問題に向き合うことが、最大限のできることなのかもしれません。