中村萬壽・時蔵 8歳の梅枝の芝居に「上出来」 親子三代での襲名・初舞台への思い
■父から息子へと受け継がれる大名跡への思いとは
――親子三代での襲名・初舞台となりましたが、名前が変わってどのような心境ですか?
萬壽:“時蔵”の名前で43年間やりましたし、女方としての足跡が残せてきたんじゃないかなと思っておりまして、この名前替えによって心機一転、新しい自分を見せるということも大事なんですけれど、あとの代を上手く育てていくことが、主なこれからの役目ではないかと思っております。
時蔵:あまり実感が湧かないですね。周りの後輩たちも、“何て呼んだらいいですか?”って聞いてくるので、“何でもいいよ。とっきーでも”って…
萬壽:とっきーは(時蔵時代に呼ばれていたので)お父さんのだよ!
時蔵:そうですよね(笑) なかなかみんな呼び名に困っている感じですね。
――梅枝さんはいかがですか?
梅枝:うーん。
萬壽:梅枝という名前は好きか嫌いか。
梅枝:……めっちゃ好きってわけではないけど…めっちゃ嫌いでもないんだよなぁ
一同:(笑)
――萬壽さんが43年間名乗ってきた“時蔵”を受け継いだ今、どのような気持ちで公演に臨まれていますか?
時蔵:名前一つ一つに器みたいなものがあって、そこに長年時間をかけて詰め込んでいき、器を溢れさせていくのが芸かなという思いです。(六代目時蔵なので)五代分の時蔵の器の形がありますので、それを充満させて溢れさせることができるようになれたらいいなと。
■萬壽さん、時蔵さんから見た初舞台を踏む梅枝さんの芝居
――まもなく『六月大歌舞伎』は千穐楽となりますが、公演を振り返ってみて心境はいかがでしょうか?
萬壽:孫の梅枝が一生懸命、怪童丸後に坂田金時という役を勤めてくれていて、彼が大好きな立ち回りや見得(みえ)が、存分に入っている見どころたっぷりな演目だと思います。
――見得を切った時に、歓声が上がっていましたね! 緊張しませんか?
梅枝:緊張はしないけど、このままいったら、見得しすぎて首痛くなりそう。
時蔵:なにそれ!(笑)
――自分のお芝居に点数をつけるとしたら何点ですか?
梅枝:ここから上がっていくとしたら、85くらい。
萬壽:お~。
――口上する場面もありましたが、いかがですか?
梅枝:横から(父・時蔵さんが)、“動くな、動くな、動くな…”って言ってくるから…
時蔵:口上は、頭をずっと下げていないといけないですけど、結構子どもには大変。でも動くとすごく目立つので、舞台上では僕も横で一緒に頭を下げているので、“動かない!”ってあの場でちょいちょい言ってるね。
梅枝:そう(笑)
――梅枝さんの初舞台、萬壽さんと時蔵さんから見ていかがですか?
萬壽:上出来だと思います。
時蔵:僕が子役の頃に比べると、彼は随分舞台経験を積んでいます。僕の3倍くらいは舞台に出ているはずです。なのでよくやっていると思います。言ったことをすぐに直してくれるし、楽屋でおちゃらけていても、舞台に出ると間を守って、行儀の悪いことはしない。親としてはとてもありがたいですし、これからもふざけずに一生懸命頑張ってほしい。
萬壽:でも一番大事なのは、千穐楽まで無事に勤めること。ここまで無事に来てくれたのでほっとしています。7月も大阪松竹座で興行があるので、そこも頑張ってもらいたい
■市來アナの取材後記 親子三代で守っていく萬屋の大名跡
“見得はたっぷりするのが難しいけれど、孫は間をためてたっぷりとできる”と、梅枝さんに太鼓判を押していた萬壽さん。インタビュー中、息子・時蔵さんと孫・梅枝さんが話す姿を、ほほえみながら見守る姿は、43年間、萬屋の大名跡を守ってきたからこその貫禄を感じました。
また公演後にインタビューを受けてくださった3人。梅枝さんから耳打ちで、質問の回答方法などを聞かれた時蔵さんには、父親としての優しさと、“時蔵”を受け継いだ務めを垣間見ることができた気がしました。
祖父と父の姿を追いながら、歌舞伎俳優としての一歩を踏み出した梅枝さん。次回、後編は、梅枝さんのさらなる素顔に迫りつつ、歌舞伎座に続いて7月の大阪松竹座での興行について伺います。
【市來玲奈の歌舞伎・花笑み】
「花笑み」は、花が咲く、蕾(つぼみ)がほころぶこと。また、花が咲いたような笑顔や微笑みを表す言葉です。歌舞伎の華やかな魅力にとりつかれた市來玲奈アナウンサーが、役者のインタビューや舞台裏の取材で迫るWEBオリジナル企画です。